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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.94
かわいい小さなサルが、人類の福音に――
その老化研究が広げる、ヒトの健康長寿の未来
京都大学 霊長類研究所
中村 克樹 教授

老化は一種の病気であり、治療法が存在する。治療法さえ確立できれば、ヒトは120歳ぐらいまで健康に長生きできる……。老化に対する関心の高まりを受けて、そんな研究内容をまとめた書籍が注目されている。
この研究で使われたのは、遺伝子操作を加えられたマウスである。動物実験の多くがマウスなどのげっ歯類を使って行われているが、ヒトのモデル動物として考える場合、マウスが理想とは言いきれない。ヒトの参考になるのはやはり霊長類だ。なかでも、サルの仲間の「コモンマーモセット」は、ヒトと同じ一夫一婦制の家族で暮らす、ヒト以外では数少ない霊長類だ。京都大学霊長類研究所の中村克樹教授は、マウスよりヒトに近いコモンマーモセットを使い、老化をはじめとするさまざまな研究に取り組んでいる。

医科学研究で注目を集めるサルの仲間

「コモンマーモセット」と聞いてピンとはこなくとも、ペットの“ポケットモンキー”といえば分かる人もいるのではないか。この南米大陸の熱帯雨林を原産地とするサルの仲間、マーモセットが、近年、ヒトに近い研究用モデル動物として注目されている。
「マーモセットは成体の体重が300~400グラム、体長は20~25センチ程度。大きさでいえばラット、見た感じはリスに近いといえるでしょう」と、京都大学霊長類研究所の中村克樹教授はマーモセットの外形的な特徴を説明する。

マーモセットの家族。左側のマーモセットの背中には、双子の子どもが乗っている。

マーモセットの家族。左側のマーモセットの背中には、双子の子どもが乗っている。

マーモセットが研究用動物として注目され始めたのは、今から約30年前のこと。ヨーロッパで1992年に研究グループEMRG(European Marmoset Research Group)が立ち上げられ、アメリカでもその10年後ぐらいに研究グループMaRGA(Marmoset Research Group of the Americans)が発足した。その後、両者は連携を取りながら研究を進めている。
「私は2003年から国立精神・神経センター神経研究所のモデル動物開発部に所属していました。ここでマーモセットを実験動物として本格的に扱うことになり、そのための飼育設備の立ち上げなどに携わってきました。当初は飼育方法から学ぶ必要があり、欧米で培われたノウハウなどを参照しながら研究を進めていきました。マーモセットのさまざまな特徴を知るにつれ、この動物は老化の研究に向いていると考えるようになったのです」
今やマーモセットは、ヒトに似た生物学的、行動学的特徴を備えた扱いやすい実験動物として、さまざまな研究で使われるようになっている。

ヒトの研究に適したマーモセット

脳科学や医科学研究における動物実験では、そのおよそ9割以上でマウスやラットなどのげっ歯類が使われている。実験動物としての扱いやすさ、繁殖能力の高さがもたらす遺伝的な系統化のしやすさなどもあり、げっ歯類はこれまでの研究において大きな成果をもたらしてきた。
「しかしヒトのモデルとして考えれば、げっ歯類とヒトではかなり遠い部分があります。例えばマウスは早く老化しますが、そのプロセスはヒトの老化とまったく違う。かといって老化研究をヒトに近いサルやチンパンジーでやろうとすると、老化そのものに30年ぐらいの時間がかかってしまい、一からプロジェクトを立ち上げて研究を進めるのが難しい。ところがマーモセットなら10歳を超えるぐらいで老齢となるため、時間面でのメリットが大きいのです。マーモセットは、老化研究をする上で扱いやすい歳の取り方をしてくれる一方で、げっ歯類よりもはるかに老化プロセスがヒトに近い。そのためマーモセットは、ヒトの研究用モデル動物として最適なのです」

中村教授が目指すのは、マーモセット研究を通じて、最終的には人の脳や老化のメカニズムを解明することだ。

中村教授が目指すのは、マーモセット研究を通じて、最終的には人の脳や老化のメカニズムを解明することだ。

中村教授が、2020年から2025年までの5年間をかけて取り組んでいる研究テーマが、『血漿タンパク成分による老齢ザルの若返り法の開発』である。これは科学研究費助成事業挑戦的研究(開拓)の超高齢社会研究として採択された。
研究では老齢のマーモセットとニホンザルを対象に、血漿タンパク質の一種であるNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)やTIMP2(組織メタロプロテアーゼ阻害物質2)を投与する。NMNは老化現象を遅らせる効果があるとされ、注目されている物質である。一方、ヒトの臍帯血漿から採取されたTIMP2は、老齢マウスの海馬を活性化し、認知機能を改善したとの研究報告もある。
「これらを投与した後の、運動機能や認知機能、さらに脳機能の変化を投与前と比較していきます。運動機能に関しては、独自開発したビデオシステムを活用し、3次元的運動を計測する予定です。認知機能については前頭連合野、頭頂連合野、側頭連合野の機能評価を行い、脳機能全体の評価についてはMRIや脳波、さらにPETの活用も視野に入れています」

ヒトの老化研究への足がかりに

マーモセットを使った研究の先に見すえられているのは、ヒトの老化への応用だ。老化したマーモセットやニホンザルにNMNやTIMP2を投与して、何らかの効果があれば、当然ヒトへの応用を期待できるだろう。
マーモセットに加えてニホンザルも研究に使えるのは、歴史ある霊長類研究所だからこそだ。研究所ができてから既に半世紀以上が経っているため、30歳以上になる高齢のサルが多数いる。「これほど年寄りのサルがたくさんいる研究所は、日本でも数えるほどしかないでしょう」と中村教授は語る。

霊長類研究所RRS(第2キャンパス)は、日本医療研究開発機構のナショナルバイオリソースプロジェクト「ニホンザル」の拠点である。ここでは野生に近い条件でニホンザルの群れを飼育し、全国の研究機関に研究用ニホンザルを提供している。

霊長類研究所RRS(第2キャンパス)は、日本医療研究開発機構のナショナルバイオリソースプロジェクト「ニホンザル」の拠点である。ここでは野生に近い条件でニホンザルの群れを飼育し、全国の研究機関に研究用ニホンザルを提供している。

中村教授は2000年頃から、老齢サルの認知機能に関する研究に取り組んできた。前頭葉の機能が衰えてくると、特定の事柄に固執するようになり、新しい対象に興味を抱かなくなる。こうした傾向はニホンザルだけでなくマーモセットでも確認されている。
「認知機能の衰えたマーモセットにNMNを与えて、前頭葉機能が回復すれば、ヒトへの応用も期待できます。マウスでも似たような記憶テストは行われていますが、マウスとヒトの隔たりは大きい。マーモセットで効果が出れば、ヒトへの応用がより現実的になると期待しています」
マーモセットは、マウスよりもヒトに近いため、以前から薬剤の安全性試験に多用されてきた。例えばサリドマイドの副作用テストを行った場合、マウスでは副作用が出ないのに対して、マーモセットではヒトと同じように出る。マーモセットで試して問題がなければ、マウスよりも安全性が高いと言える。

家族ぐるみの子育てや利他活動、限りなくヒトに近い生態

双子を背負う母親のマーモセット。熱帯雨林では、この姿勢を取って木の葉の裏側などに身を隠していることが多いという。

双子を背負う母親のマーモセット。熱帯雨林では、この姿勢を取って木の葉の裏側などに身を隠していることが多いという。

ヒトに近いという意味で、マーモセットは人間以外の霊長類では珍しく一夫一婦制の家族を形成する。
「ヒトの場合は、父親と母親、そして子どもで家族を形成します。私たちにとってこのユニットはごく自然ですが、ニホンザルやチンパンジー、ゴリラに家族の概念はなく、父親は特定されません。ところがマーモセットは、父親と母親が共同で子育てに携わります。これは、サルの仲間では極めて特異なことです」

マーモセットが家族を形成する理由は、基本的に双子を出産するからだと考えられている。親の体重が300~400グラム程度なのに対して、生まれてくる子どもは30グラムぐらいの双子。ヒトに置き換えるなら、体重50キロぐらいの女性が、合わせて9キロぐらいになる双子を抱えて育てるのに等しく、いかに重労働かが推測できるだろう。だから父親も子育てに協力する。
「母親が子守を交代してほしいときには、『お~い、そろそろ変わってほしい』という感じで、“フィーコール”と呼ばれるホイッスルのような高い信号音を出します。マーモセットは、サルの仲間では珍しく音声コミュニケーションが発達しているのです。フィーコールを聞いた父親は、母親と交代して赤ちゃんを背負ってあげる。チンパンジーやニホンザルも子育ては大切にしていますが、彼らは幼い子どもを群れ全体で守る。なぜマーモセットだけが、一夫一婦制の家族を形成するようになったのかは、今のところ分かっていません。けれども今後研究が進めば、ヒトの家族形成の起源を考えるヒントを与えてくれると期待しています」

親が持っている食物を、抱きかかえられた子どもが食べている。まだ頭部の毛が白くなっていないのが子どもの印となる。

親が持っている食物を、抱きかかえられた子どもが食べている。まだ頭部の毛が白くなっていないのが子どもの印となる。

さらにマーモセットは、人と同じような利他的行動、エサの分け与えも行う。チンパンジーなどでも赤ちゃんの間は、他の誰かのエサを取っても基本的には許される。しかし、年月が経ちお尻の白い毛がなくなれば、もはや赤ちゃんとは見なされなくなり、他者のエサを取る行為は許されなくなる。
マーモセットの場合、赤ちゃんの間は体毛は親の体の毛色と同じだが、大人になると耳に特徴的な白い毛が生えてくる。そして、赤ちゃんの間はやはり、親のエサを食べるのが許されるが、成長に伴い白い毛が生えてくると、基本的に食べものは自分で取ってこなければならなくなる。

「それだけではなく、マーモセットの場合、乾季などで食べものが減る時期になると、親がエサを取ってきて、もう赤ちゃんではなくなった子どもに分け与えます。これは“アクティブフィーディング”と呼ばれる行動ですが、サルの仲間でこのような行動をとる動物は他にいません。おそらくは、乾季には食べものが減り、雨季には雨水で大地が浸され、樹上で暮らさなければならない南米の過酷な環境で進化してきたマーモセットならではの行動と考えられます。家族形成に加えてこうした利他的な行動も取るなど、マーモセットは人間の進化を考える上で貴重な生き物だと思います」

遺伝子を操作せず、精神疾患のモデルをつくる

中村教授は、独自の手法でマーモセットの統合失調症モデルの研究も進めている。Crisper Cas9に代表されるゲノム編集技術の進化により、今ではさまざまな病気をつくり出せるようになっている。
「ただ、私は昔から少し天の邪鬼なところがあって、遺伝子操作により精神疾患モデルをつくる研究には、違和感を拭い去れません。なぜなら、統合失調症やうつ病になるヒトは、遺伝子の変異だけが原因ではないはずだからです。元気だったヒトがある日突然、うつ病を発症した。だからといって、その間に遺伝子がガラッと変わってしまったと、そんなことはありえないでしょう。発症にいたるまでには環境要因が大きく影響しているはずです。だから遺伝子操作をせずに、何とか精神疾患のマーモセットをつくりたいと試しています」

マーモセットの脳に化学物質を挿入して変化を見る。狙った場所に挿入するためには、細心の注意が必要だ。その結果を、MRIを見ながら助教と検討する。

マーモセットの脳に化学物質を挿入して変化を見る。狙った場所に挿入するためには、細心の注意が必要だ。その結果を、MRIを見ながら助教と検討する。

これまでの研究により、周産期や出生前後の環境が脳に影響するとの報告がなされている。中村教授も先行研究を参考に、マーモセットの脳に化学物質を挿入するなど、いろいろなことを試みているところだという。
「初めてマーモセットに手を加えたときには、一見何の変化も起きませんでした。だから失敗したと諦めていたのですが、そのマーモセットに仕掛けをしたとは何も知らない人が、『何だかずいぶんとおかしな行動をしますね』と指摘してくれました」
このマーモセットも、ヒトの統合失調症と同じく、ある時まではごく普通に成長していたのだが、ある日突然、おかしな挙動を示すようになったのだそうだ。ヒトが統合失調症を発症するケースとよく似ている。仮に遺伝子操作されたマーモセットなら、生まれたときからどこか行動がおかしかったはずだ。

ヒトの場合は、一卵性双生児で完全に同じ遺伝子でありながら、どちらかだけが精神疾患を発症するケースがある。これは遺伝的要因に加えて環境要因によるものと考えられている。
「マーモセットの場合は、発症すると、いわゆる“空気読めない”みたいな行動をし始めて、周りにいるマーモセットたちを疲れさせてしまいます。マーモセットが、なぜそのような行動をし始めるのか。その原因を調べているのですが、マーモセットが発症するまでには、生まれてから2年ぐらいの時間がかかります。私たちはまだ研究を始めたばかりで、成果をまとめるまでにはもう少し時間がかかりそうです」

教授のひと言が、研究者への道を開いた

マーモセットは、他にもヒトに近い特徴を持っている。浮気とそれが発覚した際の取り繕いである。家族を形成するにも関わらず、マーモセットのオスは他のメスと出会うと、その気を引こうとする。
「ところが、そこに既にペアとなっているメスが来ると、オスは態度を一変させます。さっきまで気を引こうとしていた相手に、手のひらを返すように攻撃的になり『お前なんかアッチへ行け』というような態度を取るのです。こうした発見も、ヒトの研究に何かヒントを与えてくれそうです」

中村教授が研究に対する関心を持ったのは、大学の学部生時代、1980年代後半のことだ。当時は分子遺伝学が盛んになりつつあり、すべては遺伝子で説明できるという風潮も生まれつつあった。そこに疑問を感じたという。
「素直じゃないのかもしれませんが、何もかもが遺伝子で決まるなんてつまらないじゃないですか。一卵性双生児でも、成長後に性格や考え方が変わるのですから。そんなヒトの心や行動を知るカギは、脳の働きにある。ただ一足飛びにヒトの脳を調べるのは、当時はまだ難しかった。そこでサルを対象として研究を始めたのです」

そして卒業研究のときの教授のひと言で、研究者を目指すようになった。教授から与えられたテーマで実験を繰り返すものの、なぜか期待された結果が出なかった。何度やっても同じ結果になる。仮にその結果を認めると、同じ研究で既に成果を出していた海外の高名な教授の研究を否定することになる。
「そこで助手の先生にも手伝ってもらい、もう一度実験したのですが、それでも同じ結果になりました。そのとき教授は『俺はお前の実験結果を信じる、だから偉い先生にたてつくことになるが、事実は事実として発表しよう』と言ってくださいました。このひと言がしびれるほどかっこよくて、研究者のフェアな世界に憧れるようになったのです」

いま中村教授が力を入れているのは、マーモセットを活用した老化研究と脳の研究だ。それらの研究成果はいずれも、遠くない先にはヒトへの展開が期待できる。「生命現象のすべてが遺伝子で決まるわけではなく、他の要因を突き止める道を拓きたいのです」と、中村教授は近い将来のゴールを見すえている。

 

 
中村 克樹(なかむら かつき)
京都大学霊長類研究所 教授
1963年大阪生まれ。1987年京都大学理学部卒業、1991年同大学院理学研究科博士後期課程中退、1992年京都大学博士(理学)。91年より京都大学霊長類研究所助手、助教授を経て、2003年6月より国立精神・神経センター神経研究所モデル動物開発部長と京都大学講師を併任。現在は高次脳機能分野の教授として、京都大学霊長類研究所・副所長を務める。
 

京都大学霊長類研究所
https://www.pri.kyoto-u.ac.jp/index-j.html

1967年に設置された、国内では唯一の霊長類に関する総合的研究を行う専門拠点。ヒトを含めた霊長類の学際的研究に取り組む点に、大きな特色がある。現生だけでなく化石となった霊長類も研究対象とし、フィールドからゲノムまでを網羅して「くらし」「こころ」「からだ」「ゲノム」など幅広い領域にまたがる研究課題を通して、「人間性の解明」を目指している。

 

【取材・文:竹林篤実 撮影:大島拓也】

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