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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.88
臨床心理学で“こころ”の最前線を追いかける
時代とともに移り変わる“こころ”の姿
京都大学こころの未来研究センター
河合 俊雄 センター長・教授

うつ病や依存症、摂食障害、解離性障害――。こころの働きに関係する病は、種類も症状もさまざまだ。だが、心理療法を受けに来る人たちの訴えの傾向は、まるで「流行」があるかのように、時代ともに変わっていくという。京都大学こころの未来研究センターの河合俊雄教授は、宗教学や自然科学など多様な分野の研究者たちと協力しながら、心理療法家として、現代のこころの問題に取り組んでいる。

からだ・きずな・生き方からアプローチする「こころ」

河合教授がセンター長を務めるこころの未来研究センターが探求するのは、心理学ではなく「こころ学」である。敢えて「こころ」とひらがなで表記する意図を、河合教授は次のように語る。
「日本語の“こころ”は、非常に広く深い概念です。英語の“mind”や“spirit”という言葉では簡単に訳すことができません。たとえば、日本には人形供養や針供養という習慣があり、日本人は物や自然の中にもこころを見出します。また、空気を読むという言葉があるように、こころは人と人との関係性によっても変化します。こころはその人の体の中だけではなく、外へも広がっているのです」

第1回京都こころ会議シンポジウム「こころと歴史性」の総合討論の様子。過去のシンポジウムの様子は動画で公開されている(こころ会議動画)。

こころとは何か――。その答えには、心理学だけではたどり着けない。分子生物学や神経生理学などの理系分野からのアプローチに加え、文化・歴史的な視点から背景を紐解いていくことも必要になる。同センターには、神経科学者もいれば仏教学者もいる。公共政策学者や美学芸術学者もセンターに所属している。
学問の専門が細分化され、心理学の研究者どうしでさえ、流派が違えば議論がしにくくなっている今、幅広い領域の研究者が分野を超えて話し合い、学際的な共同研究をすすめる同センターの環境は非常に画期的だ。
学際的にこころを研究する試みは、センター内だけにとどまらない。2015年から始まった「京都こころ会議」のシンポジウムでは、毎年さまざまな学問分野からゲストを迎え、一般の人に向けて講演を行い、こころとは何かという問題を提起し続けている。これまで開催してきたシンポジウムのテーマは、「こころと歴史性」(第1回)、「こころの内と外」(第2回)、「こころと生き方――自己とは何か」(第3回)、「こころとArtficial Mind」(第4回)、「こころと共生」(第1回国際シンポジウム)。議題を並べるだけでも、同センターの広くて深い「こころ観」が見えてくる。

 

こころの本当の姿は追いこまれないと出てこない

河合教授が心理療法で「クライエント(client)」と初めて対面したのは、大学院1年のときだ。以来、もう40年近く臨床現場に立ち続けている。研究と臨床を両方行うことの意義を河合教授は次のように語る。
「セラピーを必要としている人たちはみな苦しみ悩んでいます。心理療法からこころへアプローチすることは、普通ではない状態のこころを調査することになります。普通の状態のこころを知ることももちろん大切ですが、普通ではない追いこまれた状態だからこそ、こころのさまざまな側面が見えてくるのです」

臨床を通して現代のこころに触れる一方で、河合教授は中世の説話や宗教の研究を通して「こころの古層」にも注目している。

さらに、クライエント一人ひとりに向き合い、個々の事情に深く寄り添い関わっていくことでしか、得ることのできない気づきがあると河合教授は語る。これは、自分が心理療法を行う場合だけでなく、他の人の事例を検討することでも同じことが言えるのだという。
「個別の事例は、非常に大きな力をもっています。事例報告会などでは、クライエントの個人情報が守られる形で治療の経過などを報告しますが、それを見ると、どうしてうまくいったのか、どこで間違えたのかなどがよくわかります。そのような事例検討は、専門家の参考になるだけでなく、一般の人にとっても有効だと思います。本などで、どういう人のどんな苦しみが、どういう過程を経て回復したのかという話を具体的に読むと、自分に応用できるようになる。物語のもつ力と言えるかもしれません」

 

時代とともに変わる人のこころ

興味深いことに、人のこころのあり方は、時代とともに変わっている。その傾向が顕著に表れるのが、学生相談だと河合教授は話す。30年ほど前は、自傷行為や過食で悩む人が多かった。また、「境界例」と呼ばれる、対人関係に問題を抱えている人たちも多く存在していた。だが最近では、それらの相談はほとんどなくなった。代わりに増えてきたのが、発達障害である。
「発達障害の人の特徴は『主体』が弱いことにあります。終身雇用が当たり前で外から決められた『枠』がしっかりあった時代は、主体性が欠けていても問題にはなりませんでした。しかし、個人の自由度が増してきた現代だからこそ、主体性の問題が炙り出されていると考えています」

これまでの心理療法は、クライエントが主体的に自分のこころを見つめ、問題を解決していく内省的なアプローチが中心だった。だが、主体性が欠けている発達障害の人には、違う方法論が必要となる。本センターは、「子どもの発達障害へのプレイセラピーの研究プロジェクト」を立ち上げ、発達障害の子どもにプレイセラピーを実施し、その効果を研究している。その結果、脳の機能の生まれつきの特性であると考えられている発達障害も、心理療法によって驚くほど改善するケースがあることがわかってきた。
「脳の働きが、人間のこころや行動に大きく影響しているのは確かです。とはいえ、必ずしも脳だけでこころの状態が決まるわけではありません。身体から働きかけることも有効です。こころへの働きかけで行動や考え方が変わっていけば、それがまた脳を良い状態に導いていくこともありえます」

砂場があるプレイルーム。

プレイルームの棚には「箱庭」を作るための小さなおもちゃが大量に並んでいる。

砂を敷き詰めた箱におもちゃを置いて風景を作る「箱庭療法」に使われる木箱。砂を掘れば水色の底面が現れ、水を表現することもできる。

 

さまざまな現場でこころの専門家が求められている

変わっていくのはこころの現れ方だけではない。心理療法家の関わり方も、時代によって変わっていく。これまでは、心理療法家は病院や相談室にいて、訪れる人を待っていた。だが近年では、心理療法家が自ら外に出向き、サービスとして心理療法を提供するアウトリーチの需要も高まっている。災害時のこころのケアや学校におけるスクールカウンセリング、小児科や自己免疫疾患を中心とする内科でのカウンセリング、病院でのターミナルケア、犯罪被害者のサポート、少年院の中での心理療法などがその好例だ。
「病院や介護の現場では、多職種の人たちが治療やケアの方法を話し合うカンファレンスを行います。そこにこころの専門家が入ることで、治療やケアがうまく進むことがよくあります」

研究員と話す河合教授

その例として、河合教授は、高齢になった母親が料理をまったくしなくなり、片付けもできなくなって人が変わってしまったと悩んでいる人のケースを挙げた。認知症が真っ先に疑われるケースだが、心理療法家が母親に会ってよく話を聞いてみると、発達障害の傾向があることが分かった。人が変わったのではなく、元から片付けができない人だったのである。これまでは姑が厳しかったおかげできちんとできていた。ところが、姑が亡くなったことで規律のようなものがなくなって自由になり、本来の発達障害傾向が現れてきたのだ。この発見により、問題への対処の仕方も変わり、介護も続けやすくなったという。

人々の不安が高まり、社会も複雑化している現代では、心理療法家のアウトリーチの需要は増えている。だが、日本ではその意義が十分に認められず、専門家としての地位が低いため、心理療法家が「便利に使われている」ケースも多いと河合教授は話す。臨床家でない人々に、心理療法の効果を伝えるには、客観的な指標に基づくデータを提示することも必要だ。

河合教授が、メタ研究やデータサイエンスにも力を入れているのもそのためだ。大量の論文データを解析して症状や治療の効果の傾向を見い出すメタ分析を行ったり、AIの機械学習を使ってカウンセラーとクライエントとのやりとりを統計学的に分析したりすることで、興味深いことも分かってきた。
「いまセンターでは、LINEのチャット機能を使った相談も行っていますが、文字として蓄積されたデータをAIで解析することで、よいセラピーと悪いセラピーの違いが見えてきました。テキストの感情特性を判断していく『ポジネガ分析』を行うと、うまくいっているセラピーは、クライエントとセラピストが同調していることがわかります。最初はどちらもネガティブな言葉が多いのですが、最後は一緒にポジティブな言葉が増えていきます。一方、成功しなかったセラピーでは、クライエントはネガティブな言葉が多いのに、セラピストだけ上がってきます。差が開いていくのです」
解析から浮かび上がる傾向は、臨床家にとっては経験的によく知られていることが多い。だが、データを集めてエビデンス(証拠)を示すことで、分野を超えた対話が活発になってきている。

物心ついたときから死の恐怖についてずっと考えてきた

河合教授の父は、ユング心理学を日本に普及させた著名な心理学者の河合隼雄氏だ。河合俊雄教授も、父と同様、ユング心理学の研究者としてキャリアをスタートさせたが、そんな河合教授に父親の仕事はどのように影響したのだろうか。
「彼は、いつも冗談やくだらないダジャレばかり言っている人でした。家でもずっとその調子で、心理学について語ることはありませんでした。むしろ、私が子どものころは、心理学の本は読むなと言われていました。心理学にはある意味、生きることの反応に対する答えや解説が書かれています。それを先に読んだら人生の種明かしになるから面白くないと考えていたのだと思います」

河合教授の最初の記憶は2歳のころ。自分に「意識」というものがあると自覚したとたんに失うのが怖くなり、死とは何かを考えるようになったと話す。

数学が得意だった河合教授は、将来は理系の進路に進もうと考えていた。ところが、あることをきっかけに、心理学の道を歩むことを決めた。
「ものごころついたときから、人間は死んだらどうなるのかと考え続けてきました。死の恐怖が頭から離れなかったのです。ずっと誰にも言わずにひとりで考えていたのですが、あるとき河合隼雄が死についてテレビで喋っているのを目にしました。NHKのユング心理学の講座番組です。そのときに、人の死について考えるには心理学しかないと思って今に至ります。おかげでこんな大変な道を選んでしまいましたけれど」と、河合教授は苦笑しながらそう語る。

後に河合教授は、父である河合隼雄氏も、同じ動機で心理学研究者の道に進んだと知ることになる。詩人の谷川俊太郎氏との対談で、河合隼雄氏が心理療法という仕事を始めた中心には自分の死の恐怖があったと語っていたのだ(『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫1993年)。話し合ったわけでもないのに、同じ動機から同じ職業を選んだ父と息子。ここにもまた、こころの不思議な働きが現れているのかもしれない。
2020年9月には、河合俊雄教授のこれまでの仕事をまとめた本が出版された(『心理療法家がみた日本のこころ―いま、「こころの古層」を探る―』)。この本の最後の章には「死とこころ」について書かれている。
「ようやく少しだけ、死について書けるようになってきました」
こころとは何かを問い続ける河合教授の旅は、これからも続いていく。

 
河合 俊雄(かわい としお)
京都大学こころの未来研究センター センター長・教授
1987年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了、チューリッヒ大学で博士号(哲学)取得。1988年にスイスのカランキーニ精神科で心理療法家として働いたのち、1990年より甲南大学文学部非常勤講師、1990年同大学助教を務める。1995年京都大学教育学部助教授、同大学教育学研究科助教授、2005年に同学科教授を経て、2007年から現職を兼務。著書に『心理療法家がみた日本のこころ―いま、「こころの古層」を探る―』(ミネルヴァ書房、2020年)ほか多数。高名な河合隼雄氏は実父に当たる。
 

京都大学こころの未来研究センター
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/

2007年に創立した新しい研究センター。心理学や認知科学、認知神経科学、公共政策、美学・芸術学、仏教学など、「こころ」に関わる多彩な専門分野の研究者が集い、「こころとからだ」、「こころときずな」、「こころと生き方」の3つの領域に関わる文理融合型の研究に取り組んでいる。こころに関する研究を推進し、教育や実践につなげるとともに、その成果を広く社会に発信することをミッションとしている。

 

【取材・文:寒竹泉美 撮影:大島拓也】

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