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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.83
厚さわずか髪の毛の10万分の1
極薄の「2次元ナノシート」が秘める無限の可能性
熊本大学 産業ナノマテリアル研究所
伊田 進太郎 教授

「2次元ナノシート」とは、最低で1原子層、多くとも原子10層分ぐらいで構成される究極の極薄材料である。その厚さは約1nm(ナノメートル)ほど。2次元平面の原子の種類と配列の組み合わせにより、従来の材料では考えられなかった機能を発現する。なかでも期待されるのが、半導体ナノシートを使った高効率な水分解触媒の開発だ。
熊本大学産業ナノマテリアル研究所の伊田進太郎教授は、太陽光エネルギーを利用して水素をつくる半導体ナノシートの研究に取り組んでいる。極薄の接合半導体ナノシート接合を開発した教授らのチームは、世界で初めて光エネルギー反応の1原子反応サイトの可視化にも成功した。

“ほぼ”2次元、厚みがほぼゼロのナノシート

2次元とは、座標でいえばx-yの世界であり、平面の広がりを意味する。たとえば紙は人間の目には2次元、つまり平面のように見える。だが、普通のコピー用紙なら厚さが0.1mm程度はあり、そこには少なくとも垂直方向に10万個単位の炭素・水素・酸素原子が積み重なっている。一見、2次元のように捉えがちな紙も、原子のスケールで見直せば巨大な3次元構造物である。
「分厚い紙と比べれば、ナノシートとは文字通り、ナノ単位の厚みしかありません。ナノシートでよく知られているのが、炭素原子が平面上に六角格子構造をとってきれいに並ぶ『グラフェン』です。グラフェンはまさに炭素原子1個分の厚みしかありません。金属原子と酸素から構成される我々のナノシートも、その厚みは最低で原子1個分、多くても10個までしか積み上がっておらず、髪の毛の10万分の1ほどの厚みしかありません」

このような2次元材料の研究がスタートしたのは、日本では1990年代のこと。同時期にアメリカの研究グループも、単結晶で高品質な2次元材料の作成に成功し、そのころから「ナノシート」という用語が使われるようになった。
「2次元材料は溶液の中でつくります。層状構造を持つ酸化物を溶液中で化学処理すると、積み重なった層が1層ずつ剥離さればらばらになります。その1層分を取り出したものがナノシートです。熊本大学産業ナノマテリアル研究所のなかでも、この2次元材料専門の研究部門に私は所属しています。2次元ナノシートの可能性が知られるにつれ、世界中で研究が進められるようになってきました。ただし基礎から応用までを総合的に研究する機関は、国内ではここだけです」

2次元ナノシートを肉眼で見るのは、もちろん不可能だ。ただしフラットなシリコンウェハーに、ナノシートが分散している溶液を垂らして原子間力顕微鏡で見ると、その姿を確認することができる。また、ナノシートをX線で構造解析すると、原子が極めて整然と並んだ状態が浮かび上がる。伊田教授らのチームは、こうした2次元ナノシートを活用し、「超次元構造」をつくって触媒などの機能向上に取り組んでいる。
「『超次元構造』とは我々が考案した概念です。たとえば、2次元構造に穴を開ければ“1.8次元”、2次元材料に異種元素をドープ(添加)すれば“2+0次元”と考えられます。あるいは2次元ナノシートを重ねて曲げれば、一部に湾曲部ができます。この状態を私たちは“2.2次元”と名付けました。湾曲部では結晶構造が伸縮するため、通常の2次元材料では得られない特殊な機能を発揮する可能性があります。具体的には結晶を無理やり引き伸ばしている側が、かなりアクティブな触媒として機能するのではないかと予想しています」

ナノシートを用いた超次元材料の創成の概念図。2次元構造に手を加えることで、“2+0次元”、“2.2次元”、“1.8次元”の構造ができる。

ナノシートを用いた超次元材料の創成の概念図。2次元構造に手を加えることで、“2+0次元”、“2.2次元”、“1.8次元”の構造ができる。

再生可能エネルギー研究の究極のゴールへ

伊田教授らのチームが挑戦する研究テーマの一つが、ナノシートを活用した水素の抽出だ。水素は燃やしても水しか発生しない極めてクリーンなエネルギーだ。ただし、現時点では水素をつくるのに化石燃料が使われているため、カーボンフリーとはいえない。半導体と太陽光だけを使い、水を水素と酸素に分解する「水分解光触媒」は、再生可能エネルギー研究の究極のゴールの1つである。
そのための研究は、すでに各所で進められている。その一例が、酸化チタンの半導体結晶を活用するもの。この結晶に光を吸収させれば、半導体内部で電子とホール(正孔)が生成される。その電子が水を還元(酸素を失う反応)すると同時に、ホールが水を酸化(酸素を受け取る反応)するため、水と光だけで水素と酸素を作成できる。これが「半導体光触媒」である。

ナノシートを使えば、電子とホールの移動距離を1nm以下に抑えられる。それによって、半導体光触媒の変換効率を高めることができる。

ナノシートを使えば、電子とホールの移動距離を1nm以下に抑えられる。それによって、半導体光触媒の変換効率を高めることができる。

「ただし、こうした半導体を活用するには、変換効率の低さが問題となります。光を吸収すると確かに半導体内部に電子とホールができますが、それらが水と反応するためには、電子・ホール共に半導体の表面まで移動しなければなりません。移動する間の結晶内に欠陥などがあると、電子やホールはそこで再結合してしまい、表面までたどり着けないのです」
であれば、電子やホールが半導体の表面にできれば、移動の必要がないため変換効率は高まるはずだ。それには、半導体の厚みを可能な限り薄くすればいい。その究極の理想形がナノシートである。厚みが1nm程度であれば、その内部を電子やホールが移動する距離も1nm以下に抑えられる。

上図はTiO2にロジウム原子(Rh)をドープ(添加)したナノシート。下図はチタニアナノシートにロジウムがドープされた状態(矢印の部分)を、透過型電子顕微鏡で撮影した画像。

上図はTiO2にロジウム原子(Rh)をドープ(添加)したナノシート。下図はチタニアナノシートにロジウムがドープされた状態(矢印の部分)を、透過型電子顕微鏡で撮影した画像。

伊田教授らのチームは、2009年ごろからナノシートによる光触媒の研究に取り組み始め、ナノシートが光触媒としての機能を持つことがまず確認された。続いての課題は、水から水素への変換効率の向上である。
「水を分解し、いかに多くの水素を得るか。変換効率向上の鍵を握るのが『助触媒』です。助触媒には、化学反応の際に必要とされる活性化エネルギーを下げる働きがあります。酸化チタン(TiO2)でできた2次元ナノシートの一部に、助触媒機能を持つロジウム原子(Rh)をドープ(添加)ししたところ、光触媒活性が高まりました。その様子を透過型電子顕微鏡で観察すると、ロジウム原子の周辺で水素が発生していることを明らかにすることができました」

ナノシートだからこその変換効率

厚さ1.2nmのナノシートCa2Nb3O10の上に同じく厚さ0.3nmのナノシートNiOを張り合わせた。p型とn型をそれぞれナノシートにすることにより、pn接合の効果が点ではなく面で発揮され、水素発生効率向上が期待できる。

厚さ1.2nmのナノシートCa2Nb3O10の上に同じく厚さ0.3nmのナノシートNiOを張り合わせた。p型とn型をそれぞれナノシートにすることにより、pn接合の効果が点ではなく面で発揮され、水素発生効率向上が期待できる。

さらなる水素発生効率の向上を目指し、伊田教授らのグループは、「ナノシートpn接合型光触媒」の開発に取り組んだ。「pn接合半導体」とは、ホール(正孔)がキャリア(電荷を運ぶ存在)となるp型半導体と、電子がキャリアとなるn型半導体を接合させたものだ。pn接合半導体は、太陽電池や発光デバイスなどで既に利用されており、触媒など化学反応が関わる領域でも活用され始めている。このpn接合半導体では、光を吸収するとホールがp型半導体へ、電子がn型半導体に移るメカニズムを、伊田教授らは水素発生に活用したわけだ。
「ただし、p型とn型を単純に接合させただけでは、接合が点と点となるためpn接合の効果を十分に発揮できません。これをそれぞれ、p型とn型のナノシートにすれば、面と面による理想的な接合となり、水素発生効率向上を期待できます。そこで、n型としてCa2Nb3O10の厚さ1.2nmのナノシート、p型としてNiOの厚さ0.3nmのナノシートを作成して接合しました」

このpn型接合ナノシートを原子間力顕微鏡で観察すると、多角形のCa2Nb3O10シート(n型)の上に、六角形のNiOシート(p型)が接合されている様子が確認された。さらに、「ケルビンフォース顕微鏡(KPFM)」という特殊な顕微鏡で電荷分離の様子を評価すると、下地にNiOのある部分で、明らかな電位の落ち込みも観察された(つまり、ホールが発生していると考えられる)。

加えて、このナノシートにおけるナノレベルでの反応を確認するため、シートに金属イオンのマンガンイオン(Mn2+)と銀イオン(Ag+)を堆積させると、Mn2+は酸化反応によりMn2O3(酸化マンガン)に、Ag+は還元反応によりAgとなった。できたAgはn型のCa2Nb3O10シートの上に、Mn2O3はp型六角形のNiO上に選択的に堆積している。これは電子とホールの働きにより、酸化還元反応が起こっていることを意味する。
以前から、ナノシートでpn接合をつくれば、理論的には接合部分にホールが集まり、未接合の部分に電子が集まると予想されていた。伊田教授らの実験結果は、まさに理論と適合したものだ。しかも、極めて薄いpn接合をつくり、光エネルギー反応の様子を実際に観察できたのは、世界でも初めての事例となった。厚さわずか1nm程度のpn接合が、光エネルギー変換機能を持つ。この成果は、今後の水分解光触媒の可能性を大きく広げる。 

pn接合ナノシートによる光触媒反応の酸化還元反応の顕微鏡写真。理論の予想どおり、接合部にホールが、未接合部に電子が集まり、効果的に酸化還元反応が起きていることを世界で初めて実証した。

pn接合ナノシートによる光触媒反応の酸化還元反応の顕微鏡写真。理論の予想どおり、接合部にホールが、未接合部に電子が集まり、効果的に酸化還元反応が起きていることを世界で初めて実証した。

目標は、「ナノシートで世界を変えたい」

ナノシートから作成した透明な膜。画期的な包装用紙に活用する可能性が期待される。

ナノシートから作成した透明な膜。画期的な包装用紙に活用する可能性が期待される。

ナノシートの応用範囲は、水分解光触媒以外にもいくつかある。その一つがナノシート膜(プロトン伝導体ガスバリア膜)だ。その用途としては、たとえば水を通さない透明な包装用紙などが想定されている。透明な膜を有機材料でつくると、ポリマーの隙間を水分が通り抜けてしまうため、乾燥食品などの長期保存には適さない。かといって、無機材料で透明な膜をつくるのは難しい。ところが金属原子によるナノシート膜なら、透明かつ高配向な膜となり、水分の透過を防げる可能性がある。
市販されているポテトチップスの袋などでは、水分を遮断するのにアルミ箔が使われるため内部を見ることができない。仮にナノシートを活用して、透明かつ水分を遮断する膜ができれば、画期的な包装用紙として活用される可能性が出てくる。

「もう一点いま取り組んでいるのが、ナノシート2次元材料を使った、低コストかつ高効率な揮発性有機化合物(VOC)分解触媒の開発です。塗装工場や印刷工場からはトルエンやキシレンなどの揮発性有機化合物が大量に排出されます。これを無害化する過程では、200~300℃ぐらいの熱をかけて燃焼させなければなりません。ただしトルエンガスは非常に希薄なため、これを完全に燃やそうとすると大量のエネルギーが必要になります。そこでナノサイズの穴を持つ酸化マンガンのナノシートを触媒として活用すれば、大幅な省エネ効果を期待できます」
実験の結果、表面積が小さな層状マンガン酸化物を触媒として使ってトルエンを分解すると、プラチナ(白金)を使った場合と同程度の温度でトルエンを無害化できた。実験で使われたのは層状のマンガン酸化物だが、これを2次元ナノシート化できれば、さらに低温で分解できる可能性が出てくる。

ナノシートにはほかにも、多くの優れた特性がある。構造に由来した特有の物性、外部刺激に対する高い応答性、高い比表面積、さまざまな機能物質とのハイブリッド体の形成可能性、容易に小型化・軽量化・薄膜化・ウェアラブル化が可能などという点だ。 
このナノシートを軸として、いくつもの研究課題に取り組む伊田教授だが、実は大学院博士前期課程の修了後に、少し変わったキャリアを歩んでいる。
「博士前期課程を修了して企業に研究職として就職すると同時に、博士後期課程にも進みました。ドクターコースに進んだのは指導教官の勧めによるもので、実はマスターの段階でかなり実験をこなしていたので、学位論文を書くだけのネタは持っていたのです。それで仕事が休みの土日に実験を追加して半年ぐらいで論文を仕上げると、1年で博士後期課程を修了させてもらい、博士号も取得できました」

研究を着実に進めるためには、研究室の大学院生などを含めてさまざまな専門家との密なコミュニケーションが欠かせない。

研究を着実に進めるためには、研究室の大学院生などを含めてさまざまな専門家との密なコミュニケーションが欠かせない。

その後は、企業で研究職に専念しようと思っていたところ、教授から戻ってこないかと声をかけられた。結果的にアカデミアへストレートに進んだ大学院時代の同期と比べると、スタート時点で差がついてしまったものの、それが逆に頑張る力になった。そんな伊田教授が研究者をめざすキッカケとなったのは、小学校6年生のときにテレビで見た、トランジスタの発明からIC・LSIの開発に至る半導体開発の歴史を追ったドキュメンタリー番組だという。
「ベル研究所で開発されたトランジスタ以降、半導体技術を駆使することでさまざまな電子機器がつくられ、人々の暮らしは一変しました。先端技術の研究の力はすごいなと思ったのです」
 研究者には世界を変える力がある。そんな力を実用化するために、伊田教授は今日も研究に取り組んでいる。

 

 
伊田 進太郎(いだ しんたろう)
熊本大学産業ナノマテリアル研究所 教授
2001年熊本大学工学部物質生命科学科卒業、2003年熊本大学大学院自然科学研究科博士前期課程修了。2003年4月より博士後期課程に進むと同時に松下電器産業株式会社入社、2004年同後期課程修了、博士(工学)。2005年熊本大学大学院自然科学研究科助教、2010年より九州大学大学院工学研究院准教授を経て、2017年より現職。2005年より半導体ナノシートを用いた水分解触媒や発光材料などの光機能性材料の研究に取り組む。2014年日本化学会進歩賞、2016年文部科学大臣表彰 若手科学者賞受賞。
 

熊本大学 産業ナノマテリアル研究所
http://www.iina.kumamoto-u.ac.jp/

2次元ナノマテリアルを核に、理論から産業展開まで5部門からなる総合研究所。ナノシートや表面・粒界に関係した2次元ナノマテリアル分野における優秀な研究者を集めて、基礎から応用、さらには実用化に向けた特殊合成プロセスの研究開発に取り組む。目指すのは2次元マテリアルに関する基礎研究に加え、産業イノベーションを起こすインパクトのある成果の創出である。国内初の2次元ナノマテリアルに特化した研究所として、学内の2次元ナノマテリアル研究者群と旧・パルスパワー科学研究所を融合して2020年4月に設置された。

 

【取材・文:竹林篤実】

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