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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.82
「腎臓をつくる」という途方もない夢に挑む
前人未到の臓器再生にかけた20年の挑戦
熊本大学発生医学研究所
西中村 隆一 教授

iPS細胞が誕生してから14年が過ぎた。この間に、iPS細胞を活用した再生医療の研究が、いくつもスタートしている。例えば網膜や心筋、さらに脳の神経細胞などがあるが、いずれも治療に使われるのは細胞レベルにとどまり、立体的に再生された臓器を使った治療には至っていない。
そんななかで腎臓の再生に挑んでいるのが、熊本大学発生医学研究所の西中村隆一教授だ。腎臓をつくるために必要な3つのプロセスのうち2つまでを20年かけてクリアし、今も残る課題を乗り越えるため、休む時間も惜しんで研究に取り組んでいる。そんな西中村教授が視野の先に常に見すえているのは、腎臓移植を待ちわびる人工透析患者の姿だ。

たった一人で始めた夢物語への挑戦

人体は、約37兆個の細胞で構成される。とはいえ、その始まりは受精卵、たった1つの細胞だ。その細胞に含まれている2万5000の遺伝子の指示に従って、細胞は分裂を繰り返していき、それぞれ独自の役割を担うようになる。最終的に人体を構成する細胞は、ざっと200種類以上にのぼる。
受精卵が、どのようなプロセスを経てさまざまな細胞に分化し、身体をつくりあげていくのか。身体を構成する細胞が、増殖分化して組織や器官を形成する発生プログラムを明らかにし、病気の解明や治療、組織の再構築を実現するのが発生医学だ。発生の仕組みが明らかになれば、その間の異常が引き起こす病気を解明できるほか、臓器再生も可能になる。

ラボで実験する大学院生と常に議論しながら研究をすすめる。

ラボで実験する大学院生と常に議論しながら研究をすすめる。

熊本大学発生医学研究所には、発生制御・幹細胞・器官構築の3部門があり、西中村教授は器官構築部門で腎臓発生分野を担当している。
「腎臓の研究に取り組み始めたのは、ざっと四半世紀も前の話になります。もともとは腎臓内科の臨床医でした。東京大学医学部在学中に受けた、アメリカ帰りの黒川清先生の授業のインパクトが強く、たった1回の授業で腎臓の虜になりました。その後、腎臓内科で臨床に携わっていたところ、黒川先生から東大医科研の新井賢一教授を紹介され、研究の道へと進みました。ただ、最初に与えられた研究テーマは腎臓ではなく、サイトカイン受容体のノックアウトマウス作成でしたが」

1991年に一人で始めた研究は順調には進まず、米国のDNAX研究所に留学し、5年かけてようやく成果が出た。新しいノックアウトマウスができるとさまざまな研究が一気に進み、次々と新しいデータが出てくる。この経験により基礎研究の面白さに目覚めて帰国、1996年からは腎臓発生の研究に取り組んだ。これもたった一人での挑戦だった。
「ノックアウトマウスを自在につくれるのだから、どの遺伝子を潰せばよいのかと考えました。そして腎臓発生に関する遺伝子を探す実験をひたすら繰り返したのです」
その結果、2001年に発見した腎臓発生のカギとなる遺伝子が「Sall1」である。腎臓発生のメカニズム解明に一歩踏み込めたのだ。研究を始めてから5年が経っていた。

実験を進めるカギは、ごく身近なところにあった

日本には腎臓機能が悪化し、人工透析を受けている患者が約33万人いる。病気を完治させるには今のところ腎臓移植しか方法がないが、ドナーが圧倒的に不足している。夢物語のような先の長い話だが、もし腎臓を人工的に再生できれば、腎臓病で苦しんでいる多くの患者を救うことができる。
そんな思いに動かされ、西中村教授は研究を進めた。
「すでにカエルでは1993年に、浅島誠先生らによって試験管内での原始的な腎臓組織づくりが報告されていました。けれども、哺乳類の腎臓をつくりだすのは、難易度の次元が異なる課題です。『腎臓発生(という途方もない)研究が、本当にサイエンスといえるのですか』などと批判されたこともあります」

腎臓は複雑な構造を持つ臓器であり、その再生は極めて難易度の高い課題である。

腎臓は複雑な構造を持つ臓器であり、その再生は極めて難易度の高い課題である。

Sall1遺伝子を発見してからも、西中村教授は地道に研究を続けた。そして再び5年後の2006年、Sall1を発現する細胞群が、糸球体や尿細管からなる腎臓の最小機能単位である「ネフロン」の前駆細胞であることを突き止める。西中村教授の説は、他の研究グループによっても証明された。
次の課題はネフロン前駆細胞をつくること。とはいえこの課題も当然、簡単にはクリアできない。そんなとき西中村教授の研究室に、大学院生として太口敦博氏が入り、一緒に研究に取り組むことになった。
「まず、どの細胞がネフロン前駆細胞に分化するのかを解析していきました。当時、ネフロン前駆細胞は発生初期の中間中胚葉に存在すると考えられていたので、中間中胚葉のマーカーであるOsr1にGFP(Green Fluorescent Protein:緑色蛍光タンパク質)を導入したOsr1-GFPマウスを作成しました。このOsr1-GFPマウスの胎仔からOsr1を発現している細胞を取り出して、さまざまな成長因子を加えたのですが、ネフロン前駆細胞は一向にできません。ところがあるとき太口君が、ものは試しだとOsr1を発現していない方の細胞を使ったところ、ほんの少しながらネフロン前駆細胞らしきものが誘導されたのです。教科書にはネフロン前駆細胞の起源は、単純に中間中胚葉と書かれているけれど、それが間違っているのではないか。Osr1を発現していない部分には、下半身をつくる体軸幹細胞が含まれている。腎臓はこの辺りからできてくるのではないか。方向性を大きく転換しました」

ヒトiPS細胞由来の腎臓組織(ピンク色が糸球体、緑色が尿細管)。

ヒトiPS細胞由来の腎臓組織(ピンク色が糸球体、緑色が尿細管)。

次のステップへと進む道筋は見えてきた。けれども、その実験をするために必要な遺伝子改変マウスが手元にはない。求めるマウスはどこに行けば手に入るのか。
まさに灯台下暗しだった。同じ発生医学研究所の幹細胞部門で分化制御分野を担当する佐々木教授が、そのものズバリのマウスを持っていたのだ。これを使って実験すると、確かにネフロン前駆細胞の起源であることが明らかになった。そして2012年、ついに試験管内でネフロン前駆細胞の誘導に成功する。
ネフロン前駆細胞ができるまでの一連のプロセスが明らかになったのだから、ES細胞を使えば理論的にはネフロン前駆細胞をつくれるはずである。実際に半年後、ようやく試験管内でネフロン前駆細胞が誘導され、次の段階となる腎臓の組織、糸球体と尿細管ができた。
「このとき“感極まる”という言葉の意味を、身を以て理解しました。早速成果を論文にまとめて投稿したところ、ヒトでも同じことをやらないと駄目だといわれました。そうした反応はある程度予測していたので、再び太口君にiPS細胞培養法を伝授してトライしてもらったところ、2カ月ほどでヒトにおける糸球体と尿細管の誘導条件が明らかになったのです」
マウスES細胞とヒトiPS細胞から糸球体と尿細管からなる3次元の腎臓構造が、試験管内で作成された。この成果をまとめた論文は、2013年12月12日『Cell Stem Cell』誌に掲載された。

震災を乗り越え、腎臓づくりは次のステップへ

試験管内で、iPS細胞からヒトの腎臓構造をつくりだしたことは、実に画期的な成果である。しかし、腎臓病に苦しむ人たちを救うためには、まだまだ乗り越えなければならないハードルが待ち受けている。
腎臓はネフロン前駆細胞、尿管芽、間質前駆細胞の3つの前駆細胞から形成される。次の課題は尿管芽の誘導である。とはいえ尿管芽は複雑に分岐し、原尿を一本に集める構造となる。そのような構造物が果たして実際につくれるのか。
「このように複雑に分岐する立体構造は、3Dプリンターでも使わない限りできないと考えられていました。けれども、太口君が根気のいる実験を繰り返してくれた結果、2014年の9月には分岐する尿管芽ができていました。そこから研究は進み、あと少しというところまで到達した段階で、予想もしない出来事に見舞われたのです」
2016年4月の熊本地震である。西中村教授が発生医学研究所の所長となって2週間後の震災により、建物や研究機器などが甚大な被害を受けた。けれどもスタッフが一丸となって復旧に取り組み、全国からも多数の支援が寄せられたおかげで、予想以上に早く研究を再開することができた。

マウスES細胞から再構築された腎臓の高次構造。

マウスES細胞から再構築された腎臓の高次構造。

その成果が、翌2017年11月9日『Cell Stem Cell』誌に掲載された論文である。西中村教授らのグループは、ついにマウスES細胞とヒトiPS細胞からの尿管芽誘導に成功した。しかもマウスでは、胎仔から採取した間質前駆細胞も混ぜ合わせた結果、複雑に分岐した尿管芽の先端に、ネフロン前駆細胞とネフロンが分布した。これは腎臓に特徴的な立体構造が再現されたことを意味する。
「マウスと違い、ヒトの胎児から間質前駆細胞を入手することはできませんから、ヒトでマウスと同じような構造体を再現するのは次の課題です。けれども、間質前駆細胞をヒトiPS細胞から誘導できれば、ヒトの腎臓の高次構造を再生できる可能性が出てきたことになります。もはや腎臓再生は、夢物語ではなく、具体的な目標となったのです」
西中村教授が1996年に一人で腎臓発生研究を始めてから21年、強力なサポーター・太口氏が加わってから8年でたどり着いた成果である。

 

最新の手法を取り入れ、難題に挑戦

腎臓の高次機能を再現する研究成果は、ほかの臓器への適応可能性がある。臓器の形ができる仕組みの解明や先天性疾患の病態解明にも貢献する。
研究を進める過程では、新たな成果も相次いで出ている。2019年7月には、ヒトiPS細胞からつくったネフロン前駆細胞を試験管内で増やすことに成功した。タンパク質「アクビチン」を加えるとネフロン前駆細胞が増え、できた細胞は凍結保存でき、融解後も腎臓組織を形成する能力を保つ。この成果は、患者由来のiPS細胞から作成した腎臓組織を使った病態解明や薬剤開発などの研究進捗はもとより、腎臓組織の再構築にも役立つ。

和気あいあいと研究に取り組む研究所のメンバー。

和気あいあいと研究に取り組む研究所のメンバー。

さらに西中村教授らのグループは2020年7月に、ヒトiPS細胞から誘導した尿管芽を使って、常染色体優性多発性嚢胞腎(ADPKD)の病態再現に成功した。遺伝性の腎臓疾患であるADPKDは、国内に約3万人以上の患者がいるが、病気の詳細なメカニズムは解明されておらず、治療法も限られている。その病態を再現してつくられた嚢胞を解析すれば、新しい治療法の開発につながる可能性がある。
「もちろん本筋である間質前駆細胞の誘導にも取り組んでいます。間質細胞は臓器の結合組織を構成している細胞で、見た目はただの細胞です。とはいえ臓器によって間質細胞には違いがあるはずですから、他の臓器の間質細胞を腎臓に使うわけにはいきません。さらに腎臓の間質細胞も一種類ではない可能性があります。これをつくるためには、ネフロン前駆細胞と尿管芽を一緒に誘導し、きちんとした腎臓の形になるかどうかを確かめなければなりません。マウスではすでに、胎仔の間質細胞を使って形になることがわかっているのだから、同じプロセスをヒトのiPS細胞で再現する。これが現時点での目標です」

研究を進めるうえでは、最新の技術が活用されている。それが、「シングルセル RNAシークエンス」である。これはシングルセル、つまり文字通りたった1つの細胞を取り出して、細胞ごとの遺伝子発現を解析する。従って1個1個の細胞が、どのような遺伝子を出しているのかを逐一把握できる。海外では、堕胎したヒト胎児からデータを抽出し解析した事例も出ている。そうしたデータを参考に、iPS細胞から発現する間質細胞ときめ細かく比較していけば、研究は大きく進む。
「これはデータ処理の技術が問われる世界で、そのために研究所には新たなサーバーを導入し、プログラムを組んでデータを解析しています。ヒトの発生過程もたどれるようになりつつあり、これまでとは次元が異なるヒトの発生学研究が始まっています。おそらくこれからは発生学の教科書がどんどん書き換えられていくでしょう」

一刻も早く人工透析患者を救うために

西中村教授の研究者人生は、ノックアウトマウスの作成からスタートした。1つ以上の遺伝子を欠損(無効化)することにより、マウスにはどこかおかしなところが出てくる。特定の遺伝子をノックアウトした結果を、正常なマウスと比較すれば、その遺伝子の機能を推定できる。これは一種の“引き算”である。

続いて取り組んだのはいわば“足し算”、つまり特定の細胞に何らかの因子を加えることで、どのような遺伝子が発現するのかを確かめる研究だ。その結果、ネフロン前駆細胞ができ、尿管芽をつくることにも成功した。マウスでは胎仔からとった間質前駆細胞を組み合わせることで、立体的な腎臓が構成された。
「ヒトの腎臓再生も一刻も早く完成させて、治療に役立てたいと思っています。間質前駆細胞を誘導できても、それで完成とはなりません。臓器移植に使うためには、血管も取り込んで尿管をつくり、人体に移植して尿をつくる機能をもたせる必要があります。とはいえ研究を始めた頃の夢物語ではなく、今では明確な目標が見えています。“いつ”移植に使えるようになるのかと尋ねられると、その時期をお答えすることは今の段階では難しいのが正直なところですが、可能な限り急いでいます」

西中村教授らのグループは、週末も返上して研究に取り組んでいる。腎臓透析になるのは、患者の臓器機能が10%程度にまで落ちた段階からだ。逆に考えれば、再生用の腎臓が本来の10%程度の機能を果たせれば、人工透析から離脱できることになる。その日を一刻も早く迎えるために、今日も研究が続けられている。

 
西中村 隆一(にしなかむら りゅういち)
熊本大学 発生医学研究所 腎臓発生分野教授
1987年東京大学医学部卒業後、4年間腎臓内科医として勤務。その後東京大学医科学研究所および米国DNAX研究所において、血液系サイトカイン受容体のノックアウトマウス作製解析を行う。1996年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了後、東京大学医科学研究所幹細胞シグナル分子制御研究分野助手として腎臓発生研究を開始。2000年客員助教授。2004年熊本大学発生医学研究センター・細胞識別分野教授。2009年熊本大学発生医学研究所・腎臓発生分野教授。2016年より2020年まで所長を務める。
 

熊本大学発生医学研究所
http://www.imeg.kumamoto-u.ac.jp/

熊本大学発生医学研究所発生学の視点から生命科学領域の国際水準の研究教育推進を目標とし、発生医学の先端的研究と恒常的視野に立った人材育成に取り組む。1939(昭和14)年に設置された体質医学研究所を原点に、1984(昭和59)年に遺伝医学研究施設、1992(平成4)年に遺伝発生医学研究施設を経て、2000(平成12)年に前身の発生医学研究センターが設立された。2009(平成21)年に発生医学研究所に改組拡充し、発生制御部門・幹細胞部門・器官構築部門の3部門の中に13の専任分野、3つの客員分野、3つの研究担当が設置されている。

 

【取材・文:竹林篤実】

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