研究所・研究センター一覧

未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.80
太古の火星の水は、生命の生存に適していた
環境化学者が明らかにした、火星の謎
金沢大学環日本海域環境研究センター
福士 圭介 教授

地球外に生命は存在するか――。それは人類が長年議論してきた大きな謎だ。その可能性がもっとも高いと考えられているのが火星だ。数々の研究成果により、太古の火星には、地球で生命誕生の舞台となった「液体の水」が存在していることが確実視されているからだ。
だが、水があれば、それだけで生命は生きられるわけではない。その水がどのような成分を含んでいるかが重要だ。金沢大学環日本海域環境研究センターの福士圭介教授は、太古の火星に存在していた水の水質を、世界で初めて定量的に示すことに成功し、水質が生命の生存に適したものであることを明らかにした。
しかし意外なことに、福士教授は惑星科学の研究者ではない。専門分野は地球化学・環境化学で、これまでは主にモンゴルを舞台に、「水」に着目した環境研究に取り組んできた。本稿では、福士教授の火星とモンゴルにおける研究成果を概観する。

火星の水は、果たして生命を育みうるか

もし地球外に生命が存在するとしたら……。近年の惑星研究の進展で、その可能性がもっとも大きいと考えられているのが火星だ。火星の周回衛星や探査車により、火星表面には流水地形や含水鉱物が存在していることが次々と発見されている。そうした物的証拠から、約40億年前の火星表面には、液体の水があったことが確実視されている。
水は地球上で生命が誕生した場所と考えられているうえ、生命は生きていくために水を必要とする。太古の火星における水の存在により、火星における生命の存在可能性が、現実味を帯びて議論されるようになってきた。だが福士教授は、「液体の水がありさえすれば、必ずしも生命が存在するとは限らない」と言う。
「生命の存在に水が必要な大きな理由のひとつは、生命は水を介して、生存に必要な成分やエネルギーを摂取するからです。液体の水は、元素を溶かして移動させる“媒体”として機能します。地球外での生命の存在可能性を議論するには、ただ単に物理的に水があったというだけでなく、水に溶け込んだ成分の理解が必須となります」

太古の火星には、水が存在していたことが確実視されている。今は、その水が生命を育みうるものであったかが議論されるようになっている。

太古の火星には、水が存在していたことが確実視されている。今は、その水が生命を育みうるものであったかが議論されるようになっている。

成人男性に含まれる元素の割合は、すべての人に共通している。ごくわずかにしか含まれない元素であっても、その割合に少しでも過不足があると、人間の体は変調を来たす。つまり、生命が存在するには、過不足のない適切な量の元素が必要になるのだ。この事実を、「人間は、あるいは生命は、地球を食べて生きているとも言える」と福士教授は表現する。
水が生命を育みうるかどうかは、その水に含まれている成分の種類とその濃度によって決まる。自然界に存在する鉱物は、水と接触するとその成分が水に溶け出していく。同様に、大気中に存在する気体も、水と接触するとその成分が水に溶け込んでいく。
水に溶けうる元素の量は、鉱物や気体の種類によって異なる。天然水に溶けやすい元素は「主要溶存成分」と呼ばれ、陽イオンではナトリウム、カルシウム、マグネシウム、カリウム、鉄の5種類、陰イオンでは塩化物イオン、硫酸イオン、重炭酸イオンの3種類が挙げられる。主要溶存成分の総和は、塩濃度(=塩分)に相当する。
これら8種類の成分の濃度と、水の酸性度を決める水素イオンの濃度(pH)は、水の化学的性質を決める重要なパラメータだ。それを定量的にまとめたものを「水質成分表」と呼ぶ。福士教授によれば、「ペットボトルで販売されている水や温泉には、必ずこの水質成分表が記載されている」とのことだ。

成人男性の化学組成。これはすべての人に共通している。赤字の元素は、人間だけでなくすべての地球上の生命に不可欠な元素である。

成人男性の化学組成。これはすべての人に共通している。赤字の元素は、人間だけでなくすべての地球上の生命に不可欠な元素である。

水には、生命の存在に適したものと、そうでないものがある。生命にとって有害な水とは、強酸性や強アルカリ性のものが挙げられる。前者は有害元素を多く溶かし込みやすく、後者は生命活動に重要なタンパク質を溶かすうえ、特定の主要溶存元素が溶け込めなくなる性質がある。こうした極限環境の水は、生命の生存には適していない。
「太古の火星の生命の存在可能性の議論には、物理的に水が存在するかどうかだけでは情報が足りません。水質が生命の生存に適しているのか、“水の化学”が必要になるのです」

 

太古の火星の水の水質復元に、世界で初めて成功

では、火星にかつて存在していた水が、生命の生存に適したものであったかどうかは、どのようにすれば分かるのだろうか。実は、その手掛かりになるデータが、インターネット上で公開されている。
NASA(アメリカ航空宇宙曲)は、2012年に火星に探査車「キュリオシティ」を送り込み、火星表面の探査を行っている。「キュリオシティ」の正式名称は「マーズ・サイエンス・ラボラトリー」で、多くの分析機器を搭載しており、実験室がそのまま火星に送り込まれたようなものだ。キュリオシティは地球から遠隔操作し、約35億年前に巨大な湖だったと考えられる「ゲール・クレーター」の底にたまった堆積物を、穴を掘って採取し、その成分などを分析して地球に送信している。その分析データを、NASAはウェブサイトで公開しているのだ。

分析データのなかには、堆積物に含まれる鉱物や化学組成の情報が含まれている。
「堆積物中の鉱物の情報から、地球上では水が存在する環境でしか見られない粘土鉱物や金属酸化物などが見つかっています。これらのデータをもとに、世界中の惑星科学者が、太古の火星の水環境について議論しています。ただ、その議論の内容は、水が酸性なのかアルカリ性なのかや、塩分が高いかどうかなど、定性的な議論の域から抜け出せずにいました。それが、生命の存在可能性を議論するうえでのボトルネックになっていました」

学生の実験を見守る福士教授。研究では、ラボで得られた実験データも大きな役割を果たす。

福士教授らの研究グループは、惑星科学の研究者たちが知らなかった、地球の環境化学分野で開発された研究手法を応用し、ゲール・クレーターの堆積物から得られたデータを分析した。
「キュリオシティのデータからは、『スメクタイト』と呼ばれる細かい鉱物がゲール・クレーターにも多く存在していることが分かりました。スメクタイトは、地球上でも一般的に見られる鉱物で、層状の構造をしています。その層間には、水に含まれている陽イオンが入り込み、水の陽イオン組成が保持されます。そこから、スメクタイトの周辺に存在していた水の陽イオン組成を復元することができます。さらに、陽イオンの情報が分かると、スメクタイトと一緒に生成している鉱物の種類から、どんな陰イオンが存在するかや、水素イオン濃度(pH)の情報も推定できます。こうした手法は、地球の環境化学分野で開発された手法です」
この手法を火星の水環境に適用したことが、福士教授らの慧眼だった。福士教授らはこのようにして、火星のゲール・クレーターにかつて存在していた水の水質復元に世界で初めて成功した。

地球上にも多く存在する鉱物スメクタイトは、層状の構造をしている。層間には、周辺の水に含まれる陽イオンを取り込み、そこから水の陽イオン組成を復元できる。また、スメクタイトの周辺に存在する鉱物から、水の陰イオン組成やpHも復元可能だ。

地球上にも多く存在する鉱物スメクタイトは、層状の構造をしている。層間には、周辺の水に含まれる陽イオンを取り込み、そこから水の陽イオン組成を復元できる。また、スメクタイトの周辺に存在する鉱物から、水の陰イオン組成やpHも復元可能だ。

その結果、太古の火星に存在していた水は、地球の海水の3分の1程度の塩分で、pHは中性、ミネラルを豊富に含むことが明らかになった。このような水質は、地球の生命を育むのに好適である。太古の火星の水は、生命の存在にとって適した場であったことが、初めて定量的に検証されたのだ。
すでに触れたように、これまでの火星における水研究では、水が酸性かアルカリ性か、塩分はどれぐらいかなど、定性的な議論しかなされていなかった。福士教授らは、地球外の水研究に化学を導入し、水質を定量的に示したことで、火星における水研究と生命探索研究に大きな弾みをつけることになった。

さらに、この研究成果からは、当時の火星の気候条件も推測することができるという。
「かつてのゲール・クレーター湖の水質は、現代のモンゴルの塩湖に近い水質です。塩湖は、塩分が淡水湖よりは高く、海水よりは低い湖です。こうした低濃度の塩湖は、モンゴルのような半乾燥地域によく見られます。当時のゲール・クレーター湖の周辺は、現代のモンゴルのような半乾燥気候に相当すると推測できます」

モンゴルの巨大鉱山で何が起きているのか

火星の水質研究で大きな成果を上げた福士教授だが、かねてから惑星科学の研究に携わっていたわけではない。2017年に、惑星科学の研究者(東京工業大学・関根康人教授)から誘われたのが、火星の水質研究を始めたきっかけだ。もともと福士教授は、水を介した元素の挙動について研究していた。その柱のひとつが、モンゴルを舞台にした環境研究だ。
モンゴルには塩湖がいくつかある。海水より塩分は低く、淡水湖よりは塩分が高い。そういう塩湖は、モンゴルのような半乾燥地域でよく見られる。
「2006年から、モンゴルに昔からある湖の底を掘り、その土に含まれる成分をもとに、過去10万年ぐらいの気候変動について調べています。湖では乾燥化や結氷など、環境の変化によって湖から鉱物が析出します。したがって、湖沼堆積物に見られるこれらの鉱物には、過去の環境変動が記録されていると考えることができます。この性質を利用し、過去10万年の間に気候がどのように温暖化し、あるいは寒冷化したのかを調査しています」

そして今では、モンゴルとの間にできたつながりで、モンゴルの巨大鉱山から出る廃棄物の環境影響について調査している。
モンゴルは鉱山国で、北部に東アジア最大級の金属鉱山がある。鉱山活動には積極的だが、環境汚染についての意識は低く、それではまずいだろうと、モンゴル国立大学の研究者から、廃棄物の環境影響についての研究依頼を受けた。この研究は、JICA(国際協力機構)の円借款プロジェクトMJEED(モンゴル工学系高等教育支援事業)の一環だ。JICAがモンゴル政府に対して研究資金を融資し、その資金で鉱山の環境研究をする。福士教授はこれまでにモンゴルからの留学生を2人受け入れているが、その奨学金も、MJEEDから拠出されている。

モンゴル人留学生と話す福士教授。モンゴルでの研究には彼女らの存在が欠かせない。

モンゴルの巨大鉱山では、「鉱山周辺の川で、鉱山から排出された重金属などの有害元素がどのように動いているかや、その季節変動などを調べています」と福士教授は語る。具体的に注目しているのは、モリブデンという元素だ。
「有害元素というと、銅や鉛の類いが思い浮かべられがちです。ただ、銅や鉛は強酸性でないと水にはなかなか溶け出さず、最近では簡単に処理できる方法も開発されているため、現実的に問題になることはあまりありません。一方で、ヒ素やモリブデン、セレンのような有害元素は、どのような環境下で水に溶け出すかがよく分かっておらず、そのメカニズムを明らかにするため、モリブデンに焦点を当てて研究に取り組んでいます」
福士教授らは月に一度、川のさまざまな地点で水や川底の砂を採取して、モリブデンの含有量を調査した。福士教授も年に数回は現地を訪れていたという。その観測結果から、モリブデンの濃度が夏場に過去WHO(世界保健機関)に設定された飲料水基準値を超え、冬場に基準を下回る傾向にあることが明らかになった。今後は、なぜそのような変動が起きるのか、モリブデンが川に溶け出す理由やメカニズムを調査していく。

「まさか自分が惑星研究に携わるようになるとは……」

福士教授が水にまつわる研究を始めたのは、自身が学生のころに遡る。
「学部4年生のとき、卒業研究で、“お米と一緒に炊くとご飯が美味しくなる石”について調べることになりました。そういう石が商品として売られていて、なぜお米が美味しく炊けるのか、メカニズムを調べることになったのです。事前の仮説としては、石に含まれている何らかの元素が水に溶け出して、それがお米を美味しくするのだろうと推察していましたが、結局のところ理由はよく分かりませんでした。このときの卒業研究がきっかけで、それまでは勉強や研究にあまり興味がなかったのですが、研究が面白くなり、水はあらゆる人に関わる身近なものなので、それ以来ずっと、水と鉱物の化学反応の研究を続けています」

ふとしたきっかけで始まった研究者人生は、その先に意外な道が待っていた。2017年に、本記事の冒頭で紹介した、太古の火星に存在した水の水質研究に携わることになり、研究のフィールドが一気に宇宙へと広がった。
「これまで惑星研究は、惑星科学の研究者が取り組んできましたが、惑星探査が進み、従来の惑星科学の知見だけでは解けない謎が増えてきました。惑星研究に、地球の環境化学で使われてきた知見や手法が必要とされるようになり、私のように環境化学を専門とする研究者が、惑星研究を手掛けるようになったのです」
今では、火星の水質研究に続き、土星の衛星エンセラダスにある地下水の水質分析の研究も手掛けている。また、福士教授が確立した手法は、小惑星探査衛星「はやぶさ2」の帰還試料の分析にも活用できると期待されている。

福士教授は工学部の出身だが、「物事の根本を突き詰める理学のアプローチが面白い」と語る。水を中心に、その興味・関心はさまざまな分野へと広がっている。

「まさか自分が惑星研究に携わるようになるとは……」と、研究者人生の思わぬ展開に驚きを示す福士教授。今後の研究の展望を次のように語る。
「水と生命の関係を、もっと深く突き詰めていきたいと思います。人間の体内に存在する水の水質は、誰でもみな基本的に同じです。ということは、その水質でなければならない理由があるはずです。それを探っていくと、生命の起源に辿り着くことになるのかもしれません。そういう生命にとっての水の意味を、もっと深く考えていきたいと思っています。私自身は、これまで生命科学の研究に携わったことはありませんが、幸いセンター内に生命科学の研究者もいますので、そうした先生たちと一緒に、生命における水質の意味を研究していきたいと思います」
福士教授の研究の対象は、地球を飛び出して宇宙にまで広がり、そしてその先で生命の謎にもアプローチしようとしている。なぜ生命は、水のあるところで生まれたのか。その謎を解く手掛かりが、福士教授の研究から見えてくるのかもしれない。

 
福士 圭介(ふくし けいすけ)
金沢大学環日本海域環境研究センター 教授
1998年北海道大学工学部資源開発工学科卒業、2000年同大学大学院工学研究科環境・資源工学専攻博士前期課程修了、03年金沢大学大学院自然科学研究科地球環境科学専攻博士後期課程修了。物質・材料研究機構エコマテリアル研究センター技術補助員、産業技術総合研究所深部地質環境研究センター特別研究員、ジョンズホプキンス大学博士研究員、金沢大学自然計測応用研究センター助手を経て、2007年、金沢大学環日本海域環境研究センターに助教として着任。2014年同准教授、2020年より現職。
 

金沢大学環日本海域環境研究センター
http://www.ki-net.kanazawa-u.ac.jp/

当センターは、環日本海域から東アジアにおける自然現象と人間活動により生ずる種々の環境問題の解決を目指し設立された。国内外の研究機関との連携を推進する連携部門と研究部門から構成され、研究部門は大気環境領域・海洋環境領域・陸域環境領域とそれらを連携して解析する統合環境領域の4研究領域で組織され、さまざまな環境問題に取組んでいる。2016年4月には、文部科学省共同利用・共同研究拠点に「越境汚染に伴う環境変動に関する国際共同研究拠点」として認定された。能登半島地域の実験フィールドと国際共同観測ネットワークを広く学内外に開放し、大気—海洋—陸域を統合した越境汚染物質の動態解析モデルの確立、およびヒトの健康・生態系への影響評価と将来予測について共同調査・共同研究を展開している。研究のさらなる進展や共同利用・共同研究に資するよう、能登大気観測スーパーサイトや臨海実験施設、低レベル放射能実験施設、尾小屋地下測定室、植物園を、実験・研究に係る共同利用施設として提供している。

 

【取材・文:萱原正嗣 撮影:吉田亮人】

Links

文部科学省日本学術会議国立大学共同利用・共同研究拠点協議会