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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.70
増大する政府債務は、日本経済に何をもたらすのか――
マクロ経済モデルが明らかにした、債務増加の影響
京都大学経済研究所
高橋 修平 准教授

かつて日本は、世界第2位の経済大国だった。ところが今では中国に抜かれて第3位に転落し、今後の見通しも決して明るくはない。低成長に悩む日本は、この先どのような経済政策を取るべきか。この問いを考えるためのヒントを、マクロ経済学は与えてくれる。経済モデルを使って、国全体の経済の仕組みや構造の解明を目指す。京都大学 経済研究所の高橋修平准教授は、近年広がりを見せる経済格差など家計の「異質性」をも考慮に入れ、マクロ経済の分析に取り組んでいる。

複雑きわまりない現実、その背景に潜む法則性を探る

日本では年間で一体どれだけのモノやサービスが生産されているのか、あるいはどれだけの所得が生み出されているのか。そもそも一国全体の生産規模とは、何で測るのか。いずれもマクロ経済学の重要な問題だが、それらに答えるのは容易なことではない。だが、「経済分析の難しさはそれだけではない」と高橋准教授は語る。
「一国の生産量は時間とともに変化します。正確な実態解明にはその理由も解き明かす必要があります。たとえば、経済に好不調の波が起こる原因を突き止めなければ、適切な景気対策を打つこともできません。このようにマクロ経済学では、一国全体の経済の仕組みや構造の解明を目指しています

研究室のホワイトボードを使って大学院生(左)と議論する高橋准教授(右)。マクロ経済学の議論は、数式を使って行われることが多い。

高橋准教授いわく、マクロ経済学の醍醐味は、『その想像を絶する複雑さ』にあるという。独裁者が支配する国の経済活動がどう決まっているのかを分析するのは簡単だ。その国ではすべてを独裁者が決める。すなわち企業に生産量を指示し、労働者には各自の労働量を命令して消費についても指図する。一国全体の経済とはいえ、独裁者の鶴の一声で何もかもが決まる社会。その経済構造は単純明快だ。
一方、日本は自由な社会である。1億2000万人もの人が暮らし、400万社を超える企業が活動している。そして、人々も企業も基本的には自由に経済活動を営んでいる。人は働いて所得を得て、それをもとにモノやサービスを購入し、残ったお金を銀行に預けて資産を形成する。企業は銀行から資金融資を受け、工場を建てて機械を購入し人を雇って生産活動を行う。
「人々や企業は、それぞれ自由に活動しているとはいえ、何らかの形で相互依存しています。たとえば、多くの人々は働くことによって企業から所得を得て、その所得を使って消費をする。企業は他の企業から仕入れをして、人々に賃金を支払って働いてもらい、製品やサービスを販売して収益を得る。家計、企業に加えて、政府も税金を集めて予算を組んでさまざまな活動を行っています。こうした個々の活動の相互依存に注目しながら、経済全体の仕組みを解き明かそうとする。それがマクロ経済学の何よりの面白さです」

家計と企業の間には、労働・資産・消費と雇用・資本・生産を変数とする関係が成立する。従ってこの関係は、これらの変数を使った数式モデルで記述できる。

家計と企業の間には、労働・資産・消費と雇用・資本・生産を変数とする関係が成立する。従ってこの関係は、これらの変数を使った数式モデルで記述できる。

さらに、もう一つの変数として時間が絡んでくる。そのため、分析は『想像を絶するほど複雑』になる。とはいえ時間経過を抜きにマクロ経済学を考えることはできない。人にしろ企業にしろ、何らかの意思決定は必ず時間軸のなかで行われるからだ。
「たとえば、今日どれだけ消費して、どれだけを将来に備えて貯蓄に回すのか。その意思決定は将来への期待や予想に左右されます。将来に高い収入が見込めるのなら、あえて貯蓄などせずに今日使ってしまえばいい。逆に将来の収入に不安がある場合は、今日の支出を抑えて貯蓄に回すでしょう」

将来だけではなく、過去も今日の行動に影響を与える。なぜなら過去の行動の結果が、現状につながっているからだ。過去と将来が現在に影響を及ぼす図式は、企業においても同様である。
一見てんでバラバラな個人や企業の行動を、過去から未来に至る時間の流れのなかで理解し、それらの相互依存も考慮しながら、マクロ経済の法則を見出す。それが、望ましい経済政策を考える土台になっているのだ。

平均からの脱却を目指す、21世紀の経済モデル

マクロ経済学の研究は、具体的にどのように行われるのか。
「私は経済モデルを使って分析しています。現実の経済は、家計や企業の動きの集大成です。とはいえ、これをそのまま分析するのは計算が複雑になりすぎるというか、現実問題として正確に計算するのは不可能です。そこで現実の行動の中でも重要なポイントを取り込んだモデルを使って分析をします」

賃金(wage)と資産(wealth)の分布を表すグラフ。

賃金(wage)と資産(wealth)の分布を表すグラフ。

モデルは数式で表されており、数値計算により結果を導き出す。モデルに取り込まれる経済主体は、主に家計・企業・政府の3つであり、従来は家計や企業については「平均的な行動」を基準として分析されてきた。家計についてなら「平均的な家計像」を想定したうえで、何らかの政策変更が行われたときにどのような影響が出るのかを検討する。だからマクロ経済学は、さまざまな政策の影響を評価し、よりよい社会づくりのために望ましい政策を考えるツールとなるのだ。
「仮に消費税増税について考える場合は、今回決まったように10%にするべきなのか、それとも12%ぐらいがよいのか、あるいは9%に抑えるべきなのかと選択肢はいくつもあるわけです。だからといってとりあえず12%に上げてみて様子を見て考え直そう、というわけにはいきません。そこで経済モデルを用いた政策効果のシミュレーションが役に立つのです」

ただ、20年ぐらい前から従来の分析手法の限界が指摘されるようになってきた。
「従来のモデルでは、家計や企業については平均的な家計や企業を想定していましたが、実際の家計や企業はそれぞれ異なります。これを専門用語で『経済主体の異質性』と呼びます。たとえば、家計の異質性としては保有資産の違いがあります。資産を多く持つ人と少ない人では、その経済行動は当然変わってきます。従って、そのような異質性を考慮してマクロ経済を分析した方が良いのではないかと考えられるようになってきたのです」

異質性を考慮した分析が盛んになった理由は、高橋准教授によれば大きく3つあるという。第1は、日本を始め多くの国で、格差が広がっている現状がある。
「従来の平均的な家計や企業を考えるモデルでは、ある政策を実施した際に格差が広がるのか、それとも縮小するのかといった分析はできませんでした。政策が格差に与える影響を分析するためにも、経済主体の異質性を考慮すべきと考えられるようになったのです」

第2の理由は、データの充実だ。個々の人や企業の行動に関するさまざまなデータが、以前と比べ多く研究に使えるよう整備されてきた。そして第3がコンピュータの飛躍的な進化である。データの分析やモデルの解析にはコンピュータが欠かせない。コンピュータの処理能力が高まれば、それだけ多くのデータが扱え、複雑なモデルを分析できるようになる。異質性を考慮した分析は、データが多くなりモデルが複雑になる傾向があるため以前は難しかったが、コンピュータの進化により格段に行いやすくなった。

政府債務が日本経済に与えるダメージ

マクロ経済学は、政策の判断材料を提供する。何らかの政策を立案し実施するとなれば、当然その結果を熟慮する必要がある。だからといって現実の経済に対して自然科学のような実験を行うわけにはいかない。そこで、マクロ経済モデルを使った政策効果のシミュレーションが有効になる。
「以前行った研究では、増え続ける日本の政府債務が経済に与える影響について、異質性を考慮したモデルを使って分析しました。政府債務の増加が経済に与える影響をピュアに抜き出して評価するのは難しい。けれども、マクロモデルを組み立てれば、他の要因をできるだけ固定し政府債務を変えたときに、マクロ経済に何が起こるのかを分析できます」

政府債務が増えれば、理論的には企業に回る資金が減り、経済に悪影響を与える。通常は家計の貯蓄が銀行に預けられ、それが企業に貸し出されて企業は投資を行い、その結果として雇用が増える。ところが政府債務の増加により政府も借入を増やすようになれば、銀行から企業に回る資金が減る。そうなると企業は投資を控えるようになり雇用が減る。
「その際に異質性を考慮すると、格差に対する影響も分析できます。雇用減少は賃金収入に頼る労働者にとっては悪影響となりますが、資産収入などで暮らしている人たちは直接的な影響を与えません。家計の間に異質性がある場合には、政府債務の増大は、格差拡大につながる可能性があるのです」

政府債務が増えていても、国内総生産が増えているのなら問題ないとの見方も成り立ち得る。けれども政府債務と国内総生産の関係について高橋准教授らのグループが以前行った分析からは、いささかショッキングな結果が導き出された。
高橋准教授らは、経済モデルを使って政府債務と国内総生産の関係を分析した。単純に政府債務の推移と国内総生産の推移だけを見れば、どちらも基本的には右肩上がりとなっている。つまり政府債務が増えても、国内総生産も増えているから問題ないと見える。

だが国内総生産の推移には、政府債務以外の要因、たとえばインフラストラクチャーの整備や技術の進歩なども影響している。インフラでいえば1980年代には、まだインターネットは使われていなかった。インターネットによる生産性向上は誰もが容易に理解できるだろう。
だとすれば、仮にインフラ要件が1980年代の状態にとどまっていたなら、国内総生産の推移は増大する政府債務のためにマイナスになっていた可能性もある。言い換えると、政府債務が増大していなければ、国内総生産がもっと増えていたとも考えられる。
「そこでモデルを使い、政府債務以外の要因を可能な限り固定して、政府債務のみを変えたときに何が起こるのかを分析してみました。その結果、政府債務と国内総生産の関係性を示すグラフは右肩下りとなりました。つまり、政府債務が増えれば増えるほど、国内総生産は減少するという結果が得られました」

1980年から2015年にかけて、国内総生産は約250兆円から500兆円に増えた。一方でこの間に、政府債務は約50兆円から600兆円まで増えている。

1980年から2015年にかけて、国内総生産は約250兆円から500兆円に増えた。一方でこの間に、政府債務は約50兆円から600兆円まで増えている。

政府債務(グラフ横軸)と国内総生産(グラフ縦軸)だけに要素を絞り込んで、その関係を表したグラフ。政府債務が増加するに伴い、国内総生産は低下している。

政府債務(グラフ横軸)と国内総生産(グラフ縦軸)だけに要素を絞り込んで、その関係を表したグラフ。政府債務が増加するに伴い、国内総生産は低下している。

増大する政府債務は、この先何をもたらすのか

日本の政府債務は、依然として膨張し続けている。先の高橋准教授らの研究は、2015年時点までを対象としているから、現状(2019年)について正確な見解を述べることは難しい。
「政府債務が増えていることに対して多くの人が不安を持っていると思います。幸い日本は今のところ、ギリシャなどで見られるような経済危機に見舞われているわけではありません。とはいえ我々の分析結果からすれば、債務増加は経済のマイナス要因となる可能性を否定できません」

高校時代に経験した日本経済の急激な悪化が、社会や政策に興味をもつ原点となった。それ以降、一貫して頭にあるのは「社会を良くしたい」という思いだ。

高橋准教授は、日本政府の債務問題を血圧になぞらえて次のように解説する。高血圧は基本的に良くない症状だが、だからといって高血圧の人が全員揃って脳卒中になるわけではない。ただし、高血圧によって体が何らかのダメージを受けている可能性は否定できない。同様に、政府債務が大きくなり過ぎるのは「好ましくない状態」ではある。だが、必ず財政破綻や景気悪化を招くわけではない。一方で、目に見えにくいダメージを経済に与えているのかもしれない。
「国民一人ひとりに与えるマイナス効果はそれほど大きくないのかもしれません。とはいえ、仮に1人あたり1円の損失だとしても、1億人いればトータルでは1億円となり、決して見過ごすことのできない数字です」

短期的な視点で考えるなら、景気が悪い場合はたとえ政府債務が増えるとしても財政出動を行い、景気を刺激する政策が妥当と見なされる。ただし、その際には経済状態が良くない理由への目配りが欠かせない。もし経済状態の悪化が少子高齢化やグローバルな競争環境の変化によるものだとすれば、財政出動による単純な景気刺激策に効果を期待できるのだろうか。
「そのあたりは認識の違いによって捉え方は変わってくるでしょう。ただ財政に関しては、プライマリーバランスや金利などにも注意しておく必要があると思います。これだけ政府債務が増えている状況で金利がもし上がれば、利払いが一気に増えてしまう。それは日本経済にとって大きな撹乱要因となりかねません」
マクロ経済分析に使う経済モデルは、もちろん一種類ではない。いくつものモデルがあり、それぞれに特徴がある。これも医療と似ている。つまり全身に関わるような大きな病気を正確に診断するには、原因を正確に特定できるようさまざまな医療機器を使って複数の検査を行うはずだ。
「マクロ経済も同様で、一つのモデルが完璧などということはありません。さまざまなモデルを使うのはもちろんのこと、モデル分析以外にも歴史や他国の経験から学ぶことも重要です」

そう語る高橋准教授が主に使うモデルは「Dynamic General Equilibrium model(動学一般均衡モデル)」と呼ばれる。動学とは時間を変数として扱うことを意味する。家計や企業の意思決定においては、将来予測や過去からの積み重ねが大きな影響を及ぼすからだ。
「均衡に注目するのは、家計や企業は自由に意思決定しているとはいえ、相互依存の関係にあるからです。そこに私は家計の異質性も取り込んで分析しています」

理系から経済学の道へ。転身を決めた思いとは

高校時代の高橋准教授は理系であり、京都大学総合人間学部にも理系枠で入学した。ただ、当時から関心があったのは社会問題や政策だったという。
「ちょうど高校生のころ、山一證券や北海道拓殖銀行が破綻して日本経済が急激に悪化しました。大学に入ったのが2000年ですが、そのころからゼロ金利、量的緩和など新しい金融政策がどんどん実施されました。それらの新しい政策に対しては、研究者の間でもさまざまな意見がありました。それなら自分でも、どの政策が良いのか考えてみたいと思ったのです」

大学院修士課程は東京大学の経済学研究科に進み、その後オハイオ州立大学の博士課程で学位を取る。異質性を考慮したマクロ経済分析を学んだのもこのころだ。アメリカの大学院では、当初の2年間は授業を受け、研究を始めるのは3年目から。学位を取るまでに6年かかったという。
「マクロ経済学は一国経済を分析対象としますが、社会の状況は随時変化していくため、経済の仕組みも変わっていくことが考えられます。ですから、常に分析を続けて、変化を考慮に入れながらマクロ経済に対する理解をアップデートしていかなくてはなりません。マクロ経済学は、常に新たな課題を突きつけられる学問なのです。日本経済を良くするための政策立案に役立つことを目標としながら、常にチャレンジングなテーマに取り組めるのは研究者冥利に尽きると思っています」
高橋准教授の思考の根底には、『より良い経済政策とはどうあるべきか』との問題意識がある。


高橋 修平(たかはし しゅうへい)
京都大学 経済研究所 准教授
 
2004年、京都大学総合人間学部卒業、2006年、東京大学院経済学研究科修士課程修了、2012年オハイオ州立大学経済学部博士課程修了、Ph.D.(オハイオ州立大学)。2012年より京都大学経済研究所助教を経て2017年より現職。
 

京都大学 経済研究所
http://www.kier.kyoto-u.ac.jp/jpn/index.html

国際性、先端性、学際性を特徴とする学術研究に取り組み、国際的レベルで経済学の発展に資することを最大のミッションとする。所員の多くが、世界の主要大学の研究者と人的ネットワークを構築し、国際的な行動研究を推進している。近年の経済学研究の学際化を反映し、所員の出身学部は経済学にとどまることなく、人文社会科学系はもとより数学、物理学や光学分野の研究者との交流も積極的に行われている。

 

【取材・文:竹林篤実/撮影:大島拓也】

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