「教育とは、世界を変えるために利用できる最強の武器である」
南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃に尽力し、大統領も務めたネルソン・マンデラはそう語った。その言葉通り、教育は、この世界や社会を動かす最大の原動力となりうるものだ。なかでも特に、高度な技能を持つ人材を育成し、新たな知識を創出するためになくてはならないのが大学や大学院で行われる高等教育である。
高等教育は、かつては一部の人だけが受ける教育だったが、現代の日本では18歳人口の50%以上が大学に行くような時代になり、その役割や存在意義も変わってきた。こうした時代背景を受け、高等教育のあり方の問い直しが進む。そのなかで、国ごとで教育のあり方を比較し、課題や問題点を浮き彫りにする「比較高等教育」という研究分野が重要になってきている。広島大学高等教育研究開発センターで、主に日本と中国の高等教育の比較研究を行う黄教授に話を聞いた。
高等教育とは、高度な技術や専門性を持つ人材の育成や、新たな知識の生産や伝達を行うために、大学を始めとする高等教育機関で行われている教育を指す。
高等教育自体の研究は古くより行われてきたが、国や地域ごとの共通点や違いなどを比較する「比較高等教育研究」は、まだ歴史の短い、新しい研究分野である。ここ数十年の間にグローバル化が大きく進むとともに、高等教育が各国共通の政策課題として重要性を増していくなかで、急激に発展してきたという。広島大学高等教育研究開発センターの黄福涛教授は言う。
「1990年代初めごろ、私は中国で、中国の大学の学士課程カリキュラムに関する研究を行っていました。それは中国が全国規模の学士課程カリキュラムの改革を進めていた時期でした。ちょうど同じころ日本でも、全国規模で学士課程カリキュラムの改革が進められていることを知りました。当時はまだ、中国と日本にいまのような緊密な関係はありません。中国は経済的にも文化的にも発展途上にあり、高等教育においても、日本とは比較研究を行うような共通点も見つけづらい時代でした。にもかかわらず、両国が同時期に同じようなカリキュラム改革を進めていたのです。何か必然性があるのではないかと考え、高等教育の比較研究という分野に強く興味を持つようになりました」
当時はまだ「グローバル化」という言葉もいまほど人口に膾炙していなかったが、その大きな潮流が高等教育の分野でも見え始めていた時期だったのだろう。
いまや、高等教育における国・地域を越えた相互交流(学生、教員、研究など)は特別なことではなくなった。しかし一方で、各国は国ごとにかなり異なる高等教育システムを採用している。この分野の研究において「比較」という視点が重視されていくのは必然であったと言える。
黄教授は特に、日本と中国の高等教育の比較研究に専門的に取り組んでいる。現在では、日中間の高等教育には共通点も多く見られ、またそれぞれに課題を抱えるために、研究する意味は大きい。以下では、日本と中国の高等教育の状況をそれぞれ概説したうえで、両者を比較・考察する。
まずは日本の高等教育から見てみよう。
日本の高等教育機関には、大学のほか、大学院や短期大学、高等専門学校(高専)、専門学校などがある。これらに加え、文部科学省以外の省庁が所管する省庁大学校(防衛大学校、水産大学校など)についても、大学改革支援・学位授与機構(独立行政法人)が大学相当と認めた場合、高等教育機関に該当する。
現在、それらの高等教育機関への進学率は80%を超え(2017年で80.6%、図1)、四年制の大学への進学率は50%を超えている(同52.6%)。OECDが発表したデータを元に文部科学省が実施した大学進学率の国際比較によれば、欧米を中心にした先進各国31ヶ国のなかで、日本は22番目と低い方に当たる(この比較で用いられたデータは2010年のものだが、この年の日本の大学進学率は51%で2017年とも大きく違わない)。
一般に大学進学率が高いことはその国の発展性の高さと関連付けられるため、この国際比較の結果から日本の状況を危惧する声も上がった。だが、大学進学率は、定義や計算方法が国によってかなり異なり、単純には比較ができない。たとえば日本では、高等教育の進学率は母数を当該年度の18歳人口として計算されるが、これは黄教授によれば「他国に比べて最も厳密な指標」である。また、日本では社会人学生や留学生が多くないため、さまざまな学び方の学生を含めた比較では、欧米の先進国に比べると数字は低く出るということもある。(※)
現在の日本の高等教育の状況について、黄教授は「すでに量的拡大は済んだといえる段階にある」と評価する。図1は、日本の高等教育機関への進学率の推移を示したグラフである。これを見ても、2010年(平成22年)ごろから高等教育機関への進学率(図中の「進学率1」(明るい赤線))、大学・短大への進学率(同「進学率2」(濃いめの赤線))ともに、横ばいとなっているのが分かる。
※ 日本の大学進学率をどう見るかについては、以下のリンクなどが参考になる。
「日本の大学進学率は低いは本当か?」(小串聡彦)http://blogos.com/article/176751/
では、日本の高等教育機関への進学率は、これまでどのように推移してきたのだろうか。
上のグラフによれば、高等教育機関への進学率は、いまから50年ほど遡る1960年代後半には20%以下だったが、その後10年で50%を超えるまでに急激に上昇している。1976年(昭和51年)に専修学校制度が発足して専門学校が誕生するまでは、高等教育機関とは、ほぼ大学・短大を指しており、この急上昇は、同時期に大学・短大への進学率が急上昇したことを意味する。黄教授は、日本の高等教育の特徴について考えるとき、特にこの変化に注目する。
「日本で60年代後半~70年代後半にかけて大学・短大への進学率が急上昇したのは、高等教育を量的に拡大しようという当時の政策の結果でした。多くの私立大学が新たに設立され、高等教育の大衆化が進みました」
大学数の変化を示す図2を見ると分かるように、確かに60年代に入って私立大学の数が増え始め、結果、1955年に122校だったのが2016年には600校にまで増えている(図2)。この間、国公立大学の数はほぼ横ばいで、近年の大学数の上昇はほぼ私立大学の数の上昇に依っていることが見てとれる。
現在の日本では、全大学における私立大学の割合は8割近くに達しているが、東アジアのいくつかの国を除けばあまりそのような例はない。世界的に見ても日本の大学の大きな特徴と言える。一方で、それらの私立大学に対して公的な支援が十分になされていないことが、現在の日本の大学が抱える主要な問題につながっていると黄教授は指摘する。
「日本では、高等教育を受けることは、公共の利益以上にその個人の利益となる面が大きいという考えがあります。それゆえ1960年代に私立大学の増加が始まったときも、政府は、私立大学へは公的支援は一切しないという方針を取りました。その後、70年代後半から補助金(私立大学等経常費補助金)の交付が始まりましたが、経済状況の悪化とともに減少し続けて現在に至ります。公的な支援が十分でないため、私立大学の運営は学生から得る学費と雑費に依存ぜざるを得なくなります」
こうした学費依存の私立大学運営は、高等教育を揺るがしかねない根本的な問題を引き起こす大きな要因となっている。
「少子化によって、大学も学生を確保するのに必死です。そのため、一部の地方私立大学などでは学力が低くとも希望者は入学させるし、一度入れてしまったら成績が悪くても退学にはなかなかさせられない。つまりいまや日本は、希望すればほとんど誰でも大学に通える時代となりました。そうして、学力下位の大学と、上位の大学との間のギャップがますます広がっているのが日本の大学の現状です」
量的拡大は進んだが、教育の質が保たれていない。それが、現在の日本の高等教育が抱える何よりも大きな課題だと言えよう。
ちなみに財源の厳しさは、国立大学にも当てはまる。国立大学は2004年に法人化されたが、政府から交付される「運営費交付金」はその後年々減少し、私立大学同様に運営は困難になりつつある。
一方、中国の高等教育はどのようになっているのだろうか。
中国の高等教育機関は、国立大学、地方公立大学、民弁大学(日本の私立大学に相当する)、独立学院(国公立大学を母体としながら民弁大学的特徴を持つ機関)の4種類に大きく分類できる。国立の北京大学と清華大学が19世紀後半に設立されたように、大学の歴史自体は長い。だが、1949年に中華人民共和国が建国された数年後から、ソビエト連邦をモデルとした計画経済体制に基づいた高等教育システムにつくり直された。その際、イデオロギーが絡みやすい人文社会系の教育機関は大幅に縮小された一方で、理工系、農学系の教育機関が増やされていった。
50年代後半以降は、中国とソ連の関係が悪化したことで、中国は独自の高等教育システムのあり方を模索する。だが、66年~76年の文化大革命期には、一時大学教育がストップするなど、困難な時期を経ることになった。90年代に入り、計画経済体制から市場経済体制へ移行するのに伴い、高等教育のシステムの見直しが図られることになる。以降、さまざまな改革が始まったと黄教授は言う。
「その時期にまず進められたのが量的拡大、つまり高等教育を普及させることでした。98年には大学進学率は9.8%に過ぎませんでしたが、大学の数を急増させるなどの政策によって2016年には42.7%にまで上昇しています」
ちなみに中国の大学の数は、2000年は1041校だったのが、2008年には2263校となり、8年でじつに1222校も増加している。もともとほとんどなかった私立大学も同時期に急激に拡大した。98年には22校しかなかったのが2008年には638校となり、10年で30倍近くになった(全大学における私立大学の割合は約3割)。
中国では、高等教育の量的拡大とあわせて、質的な向上を目指す取り組みも推進された。「98年には、当時の江沢民主席のもと、国立の北京大学や清華大学を始めとした中国のトップの大学を世界の一流大学と匹敵するレベルに押し上げるための『985工程』と呼ばれるプロジェクトが始まりました。また、かつては中国のほぼすべての高等教育機関が、専門職人材を育成するという教育機能しか持っていませんでしたが、近年、研究に重点をおいた研究型大学が登場しています。それにより、高等教育機関が、研究の推進という新たな役割を果たすようになりました。いずれも大きな変化です」
中国は、社会主義を背景とするシステムがあるため、高等教育に関しても政治の意向が大きく反映しているのが特徴だといえよう。ソ連との関係の変化による教育システムの変更や、文化大革命による大学教育の一時ストップ、そして市場経済体制移行後以降の爆発的な学校数の増加といったダイナミックな変化に、その特徴が表れている。
日本と中国の高等教育の変遷を見ると、その発展の経過や考え方は大きく異なることがわかるだろう。ただし、量的拡大のあとで、質的向上が課題になっている大きな流れは同じだと言える。
「中国はいまちょうど、日本が高等教育の量的拡大を、私立大学の増加によって急激に押し進めた60年代から70年代ごろに相当する状況にあります。当時の日本は量的拡大に対して公的支援が遅れ、現在も十分とは言えず、私立大学が質の確保で問題を抱えるようになっています。それを教訓とするのであれば、中国も私立大学に対する公的支援を始める必要があると言えます。現代の中国では、国立の北京大学や清華大学を始めとする少数の『重点大学』には集中的に大きな資金が投入されている一方で、私立大学への公的支援は皆無です。その結果すでに、日本の一部の地方私立大学と同様の質的な問題が起きています。つまり、お金を払えば誰でも進学できる大学が増加し、学生の学力レベルが低下しています。さらに中国では、都市と農村をはじめとして、大きな経済格差の問題もあり、それによる機会の不平等を是正するためにも公的な支援が必要だと考えます」
ほかにも、日本との比較から見えてくる、中国の高等教育における要改善点は大きく2つある。
「ひとつは政府からの圧力や要望が強すぎる点、もうひとつは人文社会系の科目が弱いことです。これらはともに、中国の政治システム、社会主義的な側面と関係しています。日本でも、人文社会系は縮小される傾向にありますが、まだ中国よりは充実しています。こうした点をより詳しく議論するために、カリキュラムや教員に関する比較研究も重要になってきます」
一方、日本が中国から学べるのはどういった点だろうか。黄教授は、本稿で触れた内容にとどまらず、これまでの比較研究に基づいて3点を挙げる。
「ひとつは、長期的な戦略を立てることの重要性です。人材育成には長い時間がかかるため、どの分野に重点を置いてどんな人材の育成を目指すのか、数十年先まで見据えた計画を立てる必要があります。日本の政策は、短期的に効果が出る研究や教育を後押しする傾向が強いため、より大きな展望に立って考えるべきです」
黄教授が指摘する長期的な視点の欠如は、高等教育を、公共の利益としてではなく個人の利益につながるものとして捉える考え方にもつながるものであろう。この点はおそらく、日本の高等教育が持つ問題の根幹にかかわっている。
「その点とも関連しますが、2点目は、企業・産業からの要望が強すぎることです。産業との連携も重要ではありますが、あまりに企業の要望に沿った研究ばかりだと、長期的視野をもって研究を行い、知識の拡大や伝達を行うという大学の役割が果たせなくなってしまいます。そして3点目は、国際的に活躍できる人材の育成です。少なくとも東アジアという範囲で活躍できる人材をより多く輩出することを日本はもっと意識するべきだと思いますが、現状ではできていません」
中国の国際化戦略は、極めて計画的に行われている。黄教授が執筆・編集した書籍、『中国における高等教育の変貌と動向:2005年以降の動きを中心に』(黄福涛、李敏編)によれば、「北京大学はおよそ世界50以上の国家・地域における約300の高等教育機関と協定を結んでおり、2010年以来、毎年およそ400~500名の学部生を海外に派遣している」とのこと(黄教授が執筆した第1章より引用)。また、中国の各大学では、英語またはバイリンガル(中国語と英語)の授業の開発が重点的に行われているほか、中国国外に住みながら中国の大学の学位をとれるシステムが、ドイツやイギリスなどの西側諸国でも立ち上がっている。
中国のこうした方針は、基本的に中央政府によるトップダウン方式で行われている。それは、黄教授が中国の課題として挙げる、政府からの要望の強さの表れでもあるが、日本の長期的な展望のなさを浮き彫りにするものだとも言えるだろう。
高等教育の比較研究が近年盛んになってきた理由として、グローバル化の進展や各国の政策の変化に加え、情報化によりデータが得やすくなったことも黄教授は挙げる。
「私は現在、主に3つの領域について、3段階のレベルで日中の比較研究を行っています。3つの領域とは、カリキュラム、教員の特性、国際化、であり、3段階は、国レベルでの政策比較、個別の大学ごとの比較、個別の授業科目ごとの比較です。こうしたきめ細かい研究が可能になったのは、インターネットの発達により、各地の職員や教員、学生といった関係者から詳細なデータを集めることができるようになったからです。かつてはどうしても、公的文書などで研究が可能な政策レベルの話に偏りがちでした。しかし現在は同一のアンケートを中国、日本の両国で広く行うことも可能です。そうした調査方法の広がりによって、多面的な比較研究が進むようになってきました」
高等教育の比較は、アジア内のみならず、アジアと欧米、ヨーロッパとアメリカなど、さまざまなレベルで行われる。たとえばヨーロッパでは高等教育が無償の国も多く、一度社会に出てから大学に入ることも珍しくない。またドイツでは、大学に通う人と職業訓練学校に行く人が早くから明確に分けられる。こうした事例についてより詳しく知ったうえで、どのような社会を目指し、そのために高等教育をどう生かすべきなのか、日本でも議論を深めていく必要がありそうだ。
「高等教育は、社会になくてはならないものです。平等な社会、自由民主的な社会を作る上でも重要です。それを比較する研究は、社会や国の未来の発展につながっていく分野です。とても魅力的な研究領域だと感じています」
よい社会や未来を創出するためには、自国の事情や文化を知るだけでは十分ではない。「国を超えて広い世界に目を向けることも重要だ」と黄教授は付け加えた。
黄教授は中国で比較高等教育の研究を始め、その研究をさらに深めるために来日した。そしていま、日本に深くなじみながら日中を橋渡しする研究を続ける教授のその言葉には、大きな説得力がある。
1972年に広島大学の「学内共同教育研究施設」として設立された、日本で最初の大学・高等教育に関する研究のための専門機関。「大学内外の研究者の協力を得て、大学・高等教育に関する研究調査を行う」という設置目的を掲げて、大学・高等教育に関する研究や情報・資料の収集整理と対外的な情報提供サービス、広島大学自身の自己研究などを任務とする。国際高等教育研究部、高等教育内容・方法研究部、高等教育システム研究部、客員研究部の各部門を擁し、高等教育分野をリードするセンターである。
【取材・文:近藤雄生 撮影:朝比奈千明】