研究所・研究センター一覧

未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.47
生命を動かす原理に、計算科学で迫る 
筑波大学計算科学研究センター 
重田 育照 教授

現代の科学で説明不可能な事象は、この宇宙に星の数ほど存在する。「生命の起源」はその代表格と言えるだろう。
科学におけるこの究極の謎に、科学計算を用いた「生命物理学」で挑戦する研究者がいる。
筑波大学計算科学研究センター・重田育照教授だ。

物理学の手法で、生命の原理を求める

生命に関する研究と聞けば生物学が想起される。しかし、20世紀の生物学に革新的な進展をもたらした「分子生物学」の誕生には、生物学者ではなく、物理学者の書いた一冊の本が少なからぬ影響を及ぼしている。量子力学を生み出した物理学者エルヴィン・シュレーディンガーによる『生命とは何か』(1944年刊)だ。DNAの二重螺旋構造を発見したジェームズ・ワトソンやフランシス・クリックは、この本に大きな影響を受けたと語っている。二重螺旋の発見は、分子生物学におけるひとつの大きなトピックである。
シュレーディンガーはこの本において、「負のエントロピー」という言葉を注意深く用いながら生命を説明している。この世界では、いかなるものも放っておけばエントロピーが増大する、すなわち無秩序へと向かう(熱力学第二法則)。しかし生物は、この物理法則と反する仕組みを持ち合わせている。生命は環境から秩序を抽出することで、自らの秩序を維持することができる。シュレーディンガーは、これを生命現象における「負のエントロピー」の作用として説明した。

重田教授の研究領域である生命物理学とは、「物理の研究手法を用いて、生命の根本原理を明らかにする研究分野」だ。
「生命物理学は、単一の生命現象を取り扱うわけではありません。総体としての生命現象のバックグラウンドには、どのような物理法則が働いているか。それを明らかにすることを目指しています。研究は、生命のさまざまな現象を物理学的に記述するためにはどのような理論が必要かを検討し、実験とコンピュータのシミュレーションによって検証するというプロセスで行っています」

研究室内はパソコンを備えるデスクが並び、壁面で仕切られたオフィスのような風景。学生らと談笑し議論しながらの日常は、生命の研究とは無縁に見える。しかしこの風景から、宇宙における生命の謎を解き明かす研究が生まれるのかもしれない。

研究室内はパソコンを備えるデスクが並び、壁面で仕切られたオフィスのような風景。学生らと談笑し議論しながらの日常は、生命の研究とは無縁に見える。しかしこの風景から、宇宙における生命の謎を解き明かす研究が生まれるのかもしれない。

生命現象とは何か。生命物理学では、生命現象を生体内のタンパク質の振る舞いによって把握しようとする。たとえば、私たちが生きていくために欠かせない酸素を取り込む「呼吸」も、タンパク質である「酵素」による膨大な「エネルギー変換」プロセスで成り立っている。呼吸は、生命物理学における主要な研究対象のひとつである。

穏やかな気候の中、森林を見下ろす高原に立ち、深呼吸をする瞬間を想像してほしい。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む、それは私たちにとって非常に心地よい瞬間だ。しかしこのとき、体内に取り込まれた酸素が水へと変換される過程で、私たち生物にとって非常に有害な中間体が生成され得る。
この有害な中間体を生成することなく、エネルギー変換を可能にしているのが、重田教授らの研究における主たる研究ターゲットのひとつ、酵素反応だ。酵素は、ヒトの体内で起こるさまざまな化学反応の触媒として機能する。
「酵素反応を一つ明らかにすることは、生体内の現象を一つ明らかにすることと同義です。よって、酵素反応の解明を積み重ねていけば、理論的には生命現象を全て把握することができるはずです」と重田教授は話す。もっとも、一つの酵素反応を明らかにするための計算量は、最先端のスーパーコンピュータを用いても数ヶ月にも及ぶという。

生命を支える、酵素の営み

本来、私たちの身体は有害な酸素をエネルギーに変換するための酵素反応を持ち合わせていない。それを可能にしているのは、私たちの身体を構成する細胞内に共生している、細胞小器官「ミトコンドリア」の働きによる。
ミトコンドリアは、一連の酵素群である「呼吸鎖」をその内膜に持っている。呼吸鎖は、何段階にもわたって電子と水素を受け渡し、取り込まれた酸素分子から私たちが生きていく上で必要なエネルギーを生産しつつ、最終的には無害な水に変える働きをする。
地球上の真核生物のほぼすべては、ミトコンドリアと共生している。太古の地球で酸素からエネルギーを取り出す能力を獲得したために、この大地で繁栄することができたとすら言われている。

筑波大学計算科学研究センターの超並列スーパーコンピュータ「HA-PACS/TCA」。2013年11月の「Green500(エネルギー消費効率のよいコンピュータの世界ランキング)」において世界第3位にランクインした性能を持つ。

筑波大学計算科学研究センターの超並列スーパーコンピュータ「HA-PACS/TCA」。2013年11月の「Green500(エネルギー消費効率のよいコンピュータの世界ランキング)」において世界第3位にランクインした性能を持つ。

私たちの行う呼吸と“対”をなすエネルギー変換も自然界に存在する。植物の光合成だ。光合成では、光のエネルギーを使って酸素分子がつくり出される。その際にも複数の酵素反応が重要な働きを行っている。
これらの酵素反応が実際にどのように進行し、呼吸鎖によって酸素がエネルギーと水に変換されるのか、光合成によって光のエネルギーが酸素分子に変換されるのか。それを計算科学によって明らかにすることが、重田教授らの主たる研究である。
「現在は『X線結晶構造解析』によって、タンパク質の原子配置を非常に正確に決定することができます。ただ、この解析によって分かるのは、いわゆる静的な、写真のような状態までです。実際の酵素反応は、映像のように時間とともに進んでゆく動的なものです。さまざまな研究グループが反応機構の解明を模索していますし、私たちの研究グループでは、筑波大学計算科学研究センターの持つ超並列のスーパーコンピュータを最大限に活用し、物理学の理論と計算科学的手法を用いた『分子シミュレーション』による解明を目指しています」

重田教授らの研究は、化学反応における触媒である酵素を工業的に利用しようとする「生物工学」の分野へも、重要な知見を提供している。たとえば、絵の具や衣料品の原材料となる工業生産物「アクリル」も酵素反応によって生成される。しかし現在は、その反応メカニズムは完全には解明されていない。重田教授らのグループでは、アクリルを生成する酵素反応における、必要な要素と不要な要素を特定する研究を行っている。

タンパク質の時系列解析で難病に挑む

重田教授のデスク。画面に映るのはタンパク質の構造をモデル化したもの。

重田教授のデスク。画面に映るのはタンパク質の構造をモデル化したもの。

重田教授らのグループでは、酵素の反応機構の「時系列的解明」を大きな課題として位置づけている。
生体酵素の反応は、映像のように時系列的変化を持ち、動的に進む。その過程をシミュレーションするには、「フェムト秒」(10のマイナス15乗秒)の時間スケールでタンパク質の構造が変化してゆく様子を追跡する必要がある。
これに、現代の科学は一定の成功を収めているが、大きな困難を伴うのが事実だ。最先端のスーパーコンピュータを用いても、わずか1秒間の酵素反応の正確なシミュレーションには膨大な計算量が発生する。この困難は、ひとつは生体が複雑系であること、もうひとつは「時系列を追う」ことへの、コンピュータの物理的な性能限界に起因する。

そうした状況下で、生体酵素反応の時間スケールから見れば極めて稀な現象(レアイベント)に対し、どのように時系列的解明を行い、予測するのか――。
たとえば「クロイツフェルト=ヤコブ病(CJD)」やウシの「ウシ海綿状脳症(狂牛病)」などの疾患は、脳内に「アミロイド」という繊維状のタンパク質の集合体が重合し、感染性のタンパク質「プリオン」を形成することによって引き起こされると考えられている。プリオンは、「タンパク質フォールディング(タンパク質の折りたたみ)」の過程における誤り「ミスフォールディング」によって形成されることが分かっている。

タンパク質の構造遷移。紐状から徐々に折りたたまれ、天然構造を形成してゆく。

タンパク質の構造遷移。紐状から徐々に折りたたまれ、天然構造を形成してゆく。

重田教授らのグループはこのミスフォールディングに着目し、レアイベントを予測するための画期的な計算科学的手法を研究している。
「タンパク質は、合成されると最初は“ひも状”をしていて、それが少しずつ折りたたまれることで、『天然構造』というもっとも安定的とされる構造に『構造遷移』していきます。この過程で、レアイベントを引き起こすタンパク質がミスフォールディングによってつくられます。その変化を、ひと続きの時系列でシミュレーションしようとすると、世界最先端のスーパーコンピュータでも膨大な計算量に対処できません。そこで私たちは、タンパク質の変化を先回りして予測し、レアイベントを効率よく発見することを目指しています」

この作戦の要は、タンパク質がミスフォールドされる「兆し」を独自のアルゴリズムによって見つけながら、短いシミュレーションを並列的に数多く行うことにある。それにより、世界最先端のスーパーコンピュータが行う「ひと続き」のシミュレーションの100分の1程度の計算コストで、タンパク質の構造遷移を把握し、レアイベントに直結する変化を捉えることができるという。
「ほかにも、生物学的に重要なタンパク質の構造変化は数多くあります。タンパク質が基質という小さな分子を認識して構造変化するプロセス『誘導適合』や、細胞分裂のプロセスなどにも私たちの手法は応用することが可能です」
技術の可能性は、大きく開けている。

「対称性の破れ」は生命に何をもたらしたのか

ミクロの世界で起きる酵素反応から生命の起源まで、インタビューの机上で宇宙が広がった。

ミクロの世界で起きる酵素反応から生命の起源まで、インタビューの机上で宇宙が広がった。

「対称性」とは、物理学における基本的な概念だ。
物理学において、ある自然法則が「対称性を持っている」というとき、それは対象に何らかの変換を加えた前と後で、従う自然法則に変化が生じないことを指す。たとえば今、あなたが東京の新宿駅にいたとして、昨日自分がいた場所と自然法則が異なっているということはあり得ない。
しかしこの対称性が壊れて成り立たなくなる場合がある。それを「対称性の破れ」といい、物理学のさまざまな分野で見出されている。たとえば、2008年のノーベル賞を受賞した南部陽一郎の対象研究は「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」である。極低温状態において物質の抵抗がゼロになる「超伝導」も「対称性の破れ」に起因する現象である。
「生命現象においても、『対称性の破れ』を見出すことができます。たとえば、ヒトの顔は、よく観察すると線対称ではありません。つまり対称性が破れている。さらに身体における心臓の位置は一般的には左ですが、10万人に1人ほどの確率で右にある人がいます。これも、生物として対称性を保っていない現象です。そして生命におけるもっともミクロなレベルの対称性の破れとはなにか、それがどのようにして起きるのか。それを突き詰めていくと、生命の起源に迫ることができます」

地球上の生命はL体(図・左上の「左手型」)のアミノ酸のみで構成されている。しかし化学的にアミノ酸を合成すればL体、D体(図・右上の「右手型」)は同量生み出されるはずである。その原因を、円偏光に求めるのが重田教授らのシナリオだ(図右下)。

地球上の生命はL体(図・左上の「左手型」)のアミノ酸のみで構成されている。しかし化学的にアミノ酸を合成すればL体、D体(図・右上の「右手型」)は同量生み出されるはずである。その原因を、円偏光に求めるのが重田教授らのシナリオだ(図右下)。

重田教授によれば、ミクロなレベルにおける「対称性の破れ」は、地球上の生命体を構成するアミノ酸の構造に見られる。アミノ酸は本来、右手と左手のように対称性のある構造を持つ「光学異性体」である。化学的につくれば、「L体」と「D体」がおおむね一対一の割合で生成される。
だが、私たちヒトを含む地球上の生命は、ほとんどが「L体」のアミノ酸のみで構成されている。この「対称性の破れ」は、一体どのようにして生じたのだろうか? 重田教授によれば、それは太陽系の形成段階にもたらされた、「光」の可能性があるのだという。
「太陽系が誕生して間もないころ、太陽が放った『円偏光』が、太陽系全体に同量存在していたアミノ酸のD体の分子の一部を破壊したのではないかと考えています。これにより破壊されたD体のアミノ酸は、全体の1%以下だったかもしれません。しかしその『破れ』が、40数億年という時間をかけて増幅され、今の状態になったと考えています」

このシナリオに従えば、もしも円偏光がもたらされていなければ、生命は今とまったく異なったものになっていた可能性も考えられるだろう。
現在、生命の起源の謎をめぐってさまざまな研究が行われている。オーストラリアに落下した隕石(マーチソン隕石)に含まれていたアミノ酸の調査においても、L体の過剰が認められたという。この隕石は太陽系初期につくられたものであり、重田教授らの仮説と合致する。

計算科学の発展が、科学を前に推し進める

重田教授は、生命の起源に迫る研究こそが、計算科学研究センターの魅力を物語っていると話す。
「異なる分野の研究者とコラボレーションしやすい環境が、当センターの魅力でしょう。仮説のシナリオを考えてゆくプロセスで、センターの素粒子物理研究部門、宇宙物理研究部門、原子核物理研究部門、量子物性部門など、他分野と協働しています。通常、大学では宇宙と生命は異なる研究領域として扱われ、生物学と理論物理学、天文学の研究者が交流する機会はそう多くありません。生命の起源など、領域を横断したダイナミックな共同研究が生まれやすい土壌は、当センターならではの強みです」

研究室では時に和気あいあいと議論しながら、それぞれの研究を個別に進めていく。

研究室では時に和気あいあいと議論しながら、それぞれの研究を個別に進めていく。

重田教授の研究領域は、生命の起源の探求のような基礎科学的なテーマから、最先端医療への応用研究に繋がるものまで、非常に幅広い。研究のモチベーションは、どこから生まれてくるのだろうか。
重田教授は「基礎から応用までひとつにつながるような研究領域を開拓していくことを目指している」と話す。
「生命の起源の探求は、言ってみれば『誰にも分からない問題』を解く研究です。多様な分野の研究者との対話を通じて新しいアイデアが生まれ、新たなアルゴリズムをつくって現象を解析する。それが、さまざまな分野における『誰かが分からなくて困っている問題』を解く研究につながっていきます。生命物理学は、純粋な科学として、また社会的な貢献においても高いポテンシャルを持っている領域だと考え、基礎から応用までを一貫して手がける研究姿勢を貫いています」

計算機科学の発展は、生命科学に大きなインパクトを与えている。アメリカの未来学者のレイ・カーツワイルは、2045年にコンピュータの性能が著しく進歩し、以降の歴史を誰も予測できなくなる「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れると予測している。
こうした背景の中で、これからの生命物理はどのように進展してゆくのだろうか。重田教授は以下のように展望を語った。
「臨床医学の分野でも、私たちの分子シミュレーションを積極的に導入していこうとする動きがあります。その代表例が、ヒトの免疫システムの研究です。免疫細胞の働きにおいも、タンパク質が重要な鍵を握ります。その仕組みが解明できれば、免疫システムを自在にコントロールし、さまざまな疾患の治療に役立てることができます。今後、より広範な分野に、生命物理が研究対象とする領域が広がっていくと考えています」
計算科学の発展は、科学そのものを大きく前に進める力になるのだ。


重田 育照(しげた やすてる)
筑波大学計算科学研究センター 教授
1995年金沢大学理学部化学科卒業。2000年大阪大学大学院理学研究科化学専攻修了、博士(理学)取得。東京大学大学院工学系研究科助手、筑波大学大学院数理物質科学研究科講師、大阪大学大学院基礎工学研究科准教授などを経て2014年より現職。筑波大学大学院数理物質科学研究科生命物理学研究グループにも所属。日本学術振興会科学研究費補助金 新学術領域研究(2013-2017年度)「生命分子システムにおける動的秩序形成と高次機能発現」、同(2014-2018年度)「高次複合光応答分子システムの開拓と学理の構築」、ポスト「京」重点課題7「次世代の産業を支える新機能デバイス・高性能材料の創成」などにも関わる。

筑波大学 計算科学研究センター
https://www.ccs.tsukuba.ac.jp/

1992年度に設置された計算物理学研究センターを前身とし、2004年4月に設置。超高速シミュレーション、大規模データ解析によって、素粒子宇宙、物質生命、地球生物環境など多岐にわたる研究領域に貢献している。また、超高速計算機システム、超高速ネットワーク技術そのものの開発、および革新的な応用についても研究を進める。全国共同利用施設としての機能も持ち合わせ、2010年には、共同利用・共同研究拠点「先端学際計算科学共同研究拠点」(Advanced Interdisciplinary Computational Science Collaboration Initiative:AISCI)に認定されている。研究部門は、「素粒子物理研究部門」「宇宙物理研究部門」「原子核物理研究部門」「量子物性研究部門」「生命科学研究部門(生命機能情報分野・分子進化分野)」「地球環境研究部門」「高性能計算システム研究部門」「計算情報学研究部門(データ基盤分野・計算メディア分野)」の8部門10分野からなる。

【取材・文:森旭彦 撮影:三浦咲恵

Links

文部科学省日本学術会議国立大学共同利用・共同研究拠点協議会