1945年8月6日の朝8時15分。米軍の爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」が、原子爆弾「リトル・ボーイ」を広島市に投下した。
市の上空、高度600メートルで爆発したこの一発の原爆によって、広島市は文字通り壊滅した。爆心地から半径500メートル以内にいた人の90%以上が2000度以上の熱線と衝撃波により瞬時に死亡。放射線による強い火傷や被爆によって、当時の市内人口35万人のうち約14万人が、即日〜4ヶ月以内に命を落としたとされる。また、投下直後に市内に救護に入った人々も含め、多くの被爆者が、その後長期にわたって白血病やガン、ケロイド、白内障、さらには精神心理的影響など被爆によるさまざまな健康被害を受けることとなった。
人類史上初めて市民に対して核攻撃を行い、戦後日本を統治したアメリカ合衆国は、太平洋戦争終戦の翌年、「原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission:通称ABCC)」を広島に設置する。しかし米国科学アカデミーが主体となって設立したこの機関は、原爆による被害の調査を主目的としており、負傷者や被爆患者の治療にあたることはなかった。そのため広島市民の間から、「原爆被爆者の治療を行う医療研究機関を、国の責任において設置してほしい」という強い要望の声があがった。
「そうした背景のもと、原爆投下から16年後の1961年4月、広島大学医学部に原爆放射能医学研究所が設立されました。それが、現在の広島大学原爆放射線医科学研究所(通称:原医研)です」
そう語るのは、原医研で「DNA修復システム」を研究する田代聡教授だ。原医研はそれから半世紀にわたり、原爆や放射線が人体に及ぼす影響の解明と、放射線が引き起こす疾病の予防法や治療法の開発に向けた研究に取り組んでいる。基礎研究から臨床への応用まで、幅広い分野で成果が認められている。
「原医研は、被爆者の治療と健康の調査を第一の目的としていたことから、設立のときから臨床部門が置かれ、そこに血液内科と腫瘍外科が設置されました。その二つの科が置かれた理由は、被爆者に白血病と悪性腫瘍、すなわちガンの発症者が非常に多く含まれていたためです」
白血病も『血液のガン』と言われる病気だ。白血球のもとになる造血幹細胞が遺伝子変異を起こし、骨髄のなかで増殖することで、正常な血液が作れなくなることで発症する。
「私は広島大学の医学部を卒業し、小児科医としての研修を経てから大学院生として、原医研で被爆者白血病の原因である染色体異常の研究を始めました。私の指導教官を務めていただいたのが、1962年からこの原医研で被爆者の医学的調査にあたり、原爆放射線による白血病の研究を切り拓いた、鎌田七男先生(現・広島大学名誉教授)です」
鎌田教授は、白血病を発症した被爆者の骨髄細胞を染色体・遺伝子レベルで分析し、放射線による白血病発症プロセスを世界で初めて解明したことで知られる。1978年に鎌田教授が発表した論文は、従来かなり進行してからでなければ発見できなかった白血病の早期発見を可能にした。90年代に登場する画期的な新薬への開発にも結びつき、多くの患者の生命を救うことにつながった。爆心地から500メートル以内で被爆した近距離被爆者の追跡調査を始めとして、鎌田教授の放射線障害に関する一連の研究は、原医研の歴史におけるもっとも大きな成果の一つだ。
「健康な人の細胞の核には『染色体』が23対46本あり、細胞分裂時に棒状の構造をとります。『染色体』には、遺伝情報の物質的実体であるDNAが、『ヒストン』というタンパク質に巻き付いています。鎌田先生が白血病を発症した被爆者の細胞を分析したところ、放射線によって傷をつけられたことが原因で、通常とは異なる形をもった染色体が多数存在することがわかりました」
放射線は人体を通り抜けるとき、染色体中のDNAを傷つける。通常、傷ついたDNAは、細胞の自動修復機能で速やかに修復されるが、修復に失敗してエラーが発生することがある。ちぎれた染色体がほかの染色体の一部と融合したり、本来くっつくべきではないところと結合したりするのだ。
そうした染色体の異常な構造変化を「染色体転座」と呼ぶ。転座を起こした染色体では、本来の遺伝子の情報が改変されてしまうため、正常な細胞をつくることができなくなる。
「このように改変された遺伝子の情報が、細胞分裂によって体内に蓄積すると、ガンや白血病につながると考えられています。鎌田先生は、原医研の退職までに1万7655例の染色体を分析し、染色体異常の頻度が、被爆時の爆心地からの距離、すなわち被爆した放射線量と、明確に相関することも解明しました」
鎌田教授の研究を引き継いだ田代教授は、白血病やガンを引き起こす染色体転座がどのようにしてつくられるのか、そのメカニズムの解明に取り組んでいる。
細胞には、放射線などで切断された染色体DNAを元どおりにつないで修復する修復機構が備わっている。だが、切断されたDNAが、本来繋がなければいけない場所とは別のところに繋がれたときに、染色体転座がつくられる。すなわち、染色体転座のメカニズムを研究するには、DNA修復機構を研究する必要があるのだ。
DNA修復機構で中心的な役割を果たしていると思われるのが、「RAD51」というタンパク質である。1995年の時点で、放射線などによりDNAに傷が入ると、RAD51が細胞核の中で何箇所も点のように凝集することがわかっていた。これを「RAD51フォーカス」と呼ぶ。
田代教授は、細胞分裂期にRAD51フォーカスが増えることを発見した。また、紫外線レーザーを使うことで、DNA二本鎖が切断されている部分にRAD51が特異的に集まっていることを見出し、2000年に発表した。
「それにより、RAD51がヒトの細胞でDNAの修復に重要な役割を果たしていることが解明されました。しかし、RAD51がどのような化学的プロセスを辿ってDNAの傷を修復しているか、さらにRAD51フォーカスは傷の修復でどのような働きをしているのかは、いまだによくわかっていません」
その解明のために田代教授が現在取り組むのが、近年開発された『超解像度顕微鏡』を用いたバイオイメージング分析である。この顕微鏡は、細胞を生きたまま、従来の顕微鏡の1000倍の細かさで見ることができる。それにより、細胞内にある小器官の詳しい構造やタンパク質の移動を観察することが可能となり、分子生物学の研究に革命をもたらした(その功績から、超解像度顕微鏡の開発者3名には2014年のノーベル化学賞が授与された)。
「この超解像度顕微鏡で見ると、それまでぼんやりとした点にしか見えなかったRAD51の凝集点が、さまざまな複雑な形をとっているのが見えるようになりました。現在、RAD51フォーカスと、他の修復に関係するタンパク質がつくる細胞核内フォーカスの位置関係などについて、詳細な解析を進めているところです」
染色体を傷つける因子には、放射線だけではなく、タバコやアルコール、ストレスなどさまざまなものがある。染色体DNAの傷は、その種類に対応して修復機能が用意されているが、それでも修復できないほど多くの傷や非常に「重症」の傷をもつ細胞には、細胞死(アポトーシス)が誘導され、身体から排除される。異常な細胞は、ガン細胞に変わっていく可能性が高いからだ。
このようにして、健康な人の身体は、ガン細胞のもとになる異常な細胞が体内で増殖することを防いでいる。だが、細胞修復のプロセスの詳細はまだわからないことだらけだ。2015年度のノーベル化学賞は、DNA修復機構の一端を解明した3名の海外の研究者に与えられており、DNA修復は非常にホットな研究分野の一つだ。
「2013年3月、ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーが、ガンを予防するために自分の健康な乳房を切除する手術を受けたことが話題になりました。それは、彼女のDNAの解析結果から、DNA修復に関する遺伝子の変異が見つかり、将来ガンになる確率が高いと判断したからです。DNAの傷を治す仕組みがおかしくなると、ガンが多発することがわかっています。DNA修復機構が解明され、自分のDNAにどれくらい現時点で傷が入っているか数値化することができれば、ガンの治療と予防に大きく貢献できるはずです。」
田代教授は、DNAにどれくらい傷が入っているかを数値化するため、「PNA-FISH法」と呼ばれる、従来のものよりスピーディな高感度な染色体解析手法を開発した。コンピュータによる顕微鏡画像の自動撮影・画像解析も取り入れ、研究の効率化に向けて取り組んでいる。
原医研には、医療研究に並ぶもう一つの大きな役割がある。それは、広島市民に未曾有の被害をもたらした原爆に関するさまざまな資料を収集し、未来に向けて保管を続けていくことだ。
「この研究所には、被爆者のカルテや病理標本などの医学的な資料に加え、被爆者のインタビューや新聞の記録などの社会的な資料が膨大にあります。これらの膨大なコレクションを、これからどう保存し、有効活用していくかも、当研究所の重要な任務です。なかでも貴重なのが、原爆投下直後、爆心地から半径500メートル以内にいながら、たまたま地下や建物の影にいたおかげで生存していた78名の方々のその後の記録です。これは、原爆投下直後に爆心地で何が起こったのかを知ることができる世界で唯一の情報です。鎌田教授をはじめ原医研のさまざまな研究者が被爆者と接し、聞き取りや手紙のやりとりによって、貴重な証言を集めました」
田代教授は2017年から4月から、そうした資料の管理セクションである「資料調査解析部」の責任者に就任している。
「被爆者やその家族も高齢化が進み、いまのうちに記録をきちんと残しておかなければ、永遠に当時の記憶が失われてしまいます。細胞修復の研究は世界のどの研究所でもできますが、この被爆者の生の資料は、世界の研究機関でもここにしか存在しません。だからこそ非常に貴重で重要な、ここにあるアーカイブを有効に活用していく責任があると考えています」
被爆者の治療と健康調査に長年取り組んできた原医研は、新たな社会的役割を担うようにもなっている。
「この研究所は、日本でもっとも被爆と放射線が人体に与える影響に関するデータを持っていることから、日本国内で原子力関連の事故が起こる度に、現地調査と治療にあたって中心的な役割を果たしてきました」
1999年9月に茨城県東海村で起きた原子力発電所の臨界事故の際には、いちはやくスタッフを現地に派遣し、付近の住民の被爆検査を中心となって行った。2011年3月の東日本大震災における福島第一原発の爆発事故でも、即座に広島大学に対策委員会が設置された。このときは累計で、1342人もの緊急被爆医療派遣チームを現地へ送り込んでいる。
派遣チームは、福島県のオフサイトセンターで、住民の体表汚染の検査や小児甲状腺被爆の検査などを行った。被爆者の医学的な研究だけでなく、被害にあった人々の治療にまで踏み込んだ研究をするのが、この研究所の設立以来の使命であるからだ。
「私も小児科医の出身だったことから、広島大学からの派遣チームの一員として現地対策本部に合流し、飯舘村の役場に行って、子どもたちの甲状腺に取り込まれた放射性ヨウ素を検査しました。放射性ヨウ素は8日間で半減するため、急いで検査しないと消えてしまいます。3月25日には現地に行き、それから1000人ほどの子どもたちを検査しました。その結果、チェルノブイリ原発事故に比べて、福島の子どもたちは100分の1ほどのレベルでしか被爆していないことが明らかとなりました」
田代教授らが行った福島県県民の調査では、1000人ほどの子どもたちのなかで、99.8%が5ミリシーベルト以下しか被爆していなかった。原爆被爆者の疫学調査では、1000ミリシーベルトの原爆放射線被曝により、ガンの発症頻度が平均して1.5倍になることがわかっている。150ミリシーベルト以下では、ガンの発症頻度の上昇は認められていない。つまり、福島の原発事故の影響によって、子どもが将来的にガンを発症する確率は、非常に低いと考えられる。
「福島の100倍の被爆量だったチェルノブイリでも、20年の追跡調査の結果、子どもを含めた大多数の住民には健康被害が出ていないことがわかっています。チェルノブイリでは、放射性物質に汚染された牧草を食べた牛のミルクが出回ったため、被爆の範囲が広まりましたが、福島の場合には乳牛をすべて廃棄しました。チェルノブイリとは、福島の汚染レベルは比較にならないほど低い。現在、流通している福島県の農産物も、すべて安全であることが科学的に証明されています」
原発事故の直後には、放射線の影響を恐れるあまり、福島県産の農産物を忌避するような風潮が高まった。またそれを煽るような一部の医師やジャーナリストも現れた。
「数年前の新聞に、福島県の女の子が、『私は結婚できるのでしょうか』と投書していたことがありました。じつは広島の被爆者の方々にも、原爆の被害にあったがために結婚できなかったり、離婚されてしまったりといった悲劇が多数あった。広島の原爆被爆者でも、二世、三世への遺伝的な影響は未だ確認されていません。そうした科学的事実をきちんと人々に伝えていくことも、私たちの研究の大きなテーマの一つだと考えています」
世界で初めて、核攻撃にさらされた日本のヒロシマ。原医研は、その地で半世紀にわたり患者を救い続け、核兵器が人間にもたらす惨禍をもっとも知る研究機関である。その役割は、これからますます重要となっていくことだろう。
【取材・文:大越裕 / 撮影:吉岡早百合】