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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.21
インドネシアの大規模火災、その問題解決に挑む
京都大学 東南アジア研究所
甲山 治 准教授

インドネシアが深刻な煙害に苦しんでいる。同国の広大な泥炭湿地において農園開発などが急速に進められた結果、乾燥化が進行し、大規模な火災が起こっているのだ。
火災は煙害に加えて、温室効果ガスの排出も伴う。京都大学東南アジア研究所の甲山治准教授は、自然科学の研究をベースに、地域社会経済にまで踏み込むことで問題解決を目指している。

国を超えて広がる、大規模火災の悪影響

衛星画像による火災とヘイズの検出。(写真提供:甲山准教授)

衛星画像による火災とヘイズの検出。(写真提供:甲山准教授)

インドネシアでは近年、乾季に入るとほぼ毎年のように泥炭地で大規模な火災が発生している。この火災による煙害は、同国はもとよりシンガポールやマレーシアなどを含む広い地域に及ぶ。視界が悪くなるほどの煙霧は「ヘイズ」と呼ばれ、多くの人に深刻な健康被害をもたらしている。
泥炭火災により発生する煙には、二酸化硫黄、二酸化窒素、PM2.5などの有害物質が含まれる。これらを吸い込むことで、健康を害する人が急増しているのだ。
「2015年7月から、広範囲かつ高頻度に発生した泥炭火災は数ヶ月ものあいだ勢いが衰えず、同年10月には約210万ヘクタールに及びました。煙害の被害者は4500万人にも上り、上気道感染症を被った人が50万人、ぜん息患者は1万人、12人の死者まで出ています。ヘイズは近隣諸国にも広がり、道路交通障害や空港閉鎖を引き起こすなど社会問題となっているのです」

自身の研究内容について語る甲山准教授。日本とインドネシアを、研究室とフィールドを行き来し、インドネシアが抱える大規模火災の問題解決を目指す。

自身の研究内容について語る甲山准教授。日本とインドネシアを、研究室とフィールドを行き来し、インドネシアが抱える大規模火災の問題解決を目指す。

大火災は二酸化炭素を大量に排出するため、地球温暖化にも影響を与える。2015年7月から11月にかけてインドネシアで放出された二酸化炭素は、2013年の日本の年間放出量を超えるとも言われるほどだ。
こうした状況を改善するため、インドネシア政府は2016年に泥炭復興庁を立ち上げた。同年4月25日、泥炭復興庁は、1970年代から東南アジアの泥炭湿地研究を進めてきた我が国の京都大学ならびに総合地球環境学研究所(人間文化研究機構)と、共同声明を発表した。今後、三者は協力して、泥炭火災によってもたらされる煙害や二酸化炭素の大量排出を防ぐと同時に、荒廃泥炭湿地の復興と地域住民生活の再生に取り組むことになった。

本来は豊かな泥炭湿地林が広がっていた地域が、開発により荒廃が進んでいる。(写真提供:甲山准教授)

本来は豊かな泥炭湿地林が広がっていた地域が、開発により荒廃が進んでいる。(写真提供:甲山准教授)

住民は乾期に野焼きを行うが、乾燥がすすんでいるために一気に燃え広がる危険性がある。(写真提供:甲山准教授)

住民は乾期に野焼きを行うが、乾燥がすすんでいるために一気に燃え広がる危険性がある。(写真提供:甲山准教授)

泥炭湿地で、なぜ大規模火災が起こるのか

濃い緑色のエリアが、開発によって開かれたアカシア農園。これを取り巻くように荒廃し乾燥してしまった泥炭地が広がっている。(画像提供:甲山准教授)

濃い緑色のエリアが、開発によって開かれたアカシア農園。これを取り巻くように荒廃し乾燥してしまった泥炭地が広がっている。(画像提供:甲山准教授)

熱帯の泥炭湿地林では従来、火災が発生することはなかった。泥炭湿地は、文字通り常に水に浸かっている湿地帯だからだ。にもかかわらず、火災が発生するようになった原因は、開発に伴う土壌の乾燥化にある。
「インドネシアでは過去30年ぐらいの間に、熱帯雨林だけでなく泥炭湿地林においても大規模な開発が行われてきました。豊かな原生林が伐採され、パーム油を取るためのアブラヤシ農園や、パルプ原料となるアカシア造林地に転換されてきたのです。泥炭湿地では、まずは伐採された木材の運搬のため、その後は農園や造林地からの搬送用水路が作られ、さらには干陸化のための排水が行われました。その結果、湿地が乾燥し、土壌の水中に有機物として蓄えられていた植物遺体も燃えやすい状態となっています。ここに何らかの原因で火がつくと、まさに一触即発、一気に燃え広がってしまうのです。しかも、地表だけでなく、地中の乾燥した泥炭層も燃え続けるため、一度火がつくと簡単に消すことはできません」

泥炭地を自らボーリングし、地下水の水質分析により、乾燥の影響を精査する。(写真提供:甲山准教授)

泥炭地を自らボーリングし、地下水の水質分析により、乾燥の影響を精査する。(写真提供:甲山准教授)

乾燥した泥炭湿地は、水分含有量が高くなる雨季はまだしも、乾季に入ると非常に燃えやすくなる。
「開発された泥炭湿地は、表層が乾ききってスカスカになっています。そのため地下に水があっても毛細管現象が働かず、地表まで水が上がっていかないのです。乾いた土地に熱帯の直射日光が当たり、地表はオーブンレンジで熱したような状態になっています。何かの拍子ですぐに火がつき燃え広がります」
もちろん地元住民たちは、自分たちの土地が燃えることなど決して望んではない。ただ、木を切って農地化すれば、一時的に収入を得ることができる。その結果、何が起こるのかがわからないままに開発を進めてしまったのだ。

研究を通じ、問題解決を目指す

甲山准教授とインドネシアとの関わりは、東南アジア研究所での採用が決まった2009年4月に遡る。そのとき、幼い子どもも含めて家族全員で1年間インドネシアに赴くよう命じられた。
「とにかく現地に行って、研究テーマを決めてこいと言われました。いささか乱暴に思われるかもしれませんが、こういうやり方がうちの研究所の伝統です。現地で出会ったテーマが泥炭湿地問題、場所はスマトラ島のリアウ州でした。ここでは、インドネシアの製紙会社が大規模な開発を行っていました。丘陵地の木を伐採してパルプの材料とした後、そこにアカシアを植えるのです。アカシアは乾燥に強く、成長も早いのでパルプ材料として適しています。泥炭湿地開発も広範囲に行われていて、大火災が起こっていることがわかりました」

ダム建設により水位を約100cmかさ上げした結果,水路から80m地点においても70cmほど水位が上昇(地下65cmまで)。(画像提供:甲山准教授)

ダム建設により水位を約100cmかさ上げした結果,水路から80m地点においても70cmほど水位が上昇(地下65cmまで)。(画像提供:甲山准教授)

そこでまず手を付けたのが、荒廃地を再湿地化する試みだった。泥炭湿地をボーリングし、土壌の水分や栄養分などの実態を調査する。その後、約4haの荒廃乾燥泥炭地の排水路に簡易ダムを設置、水位を調整して乾燥泥炭地の再湿地化テストを行った。
「泥炭湿地開発の排水用に作られた水路に、土嚢(どのう)を使ってダムを作りました。土嚢を積むだけなら重機などは不要で、現地の人たちでもそれほど苦労することなくできます。実験してみたところ、ダムを作って水位を約100cmかさ上げした結果、水路から80m離れた地点でも、70cmほどの水位上昇が見られました。水位を回復させることができれば、そこに何か在来樹種を植えて育てることが可能です」
植えた木を売れば、泥炭湿地回復を図ると同時に、現地住民が経済的利益を得ることもできる。これにより、住民のモチベーションが高まり、結果的に問題解決につながることが期待される。甲山准教授が最終的に目指すのは、火災が発生するメカニズムの解明を超えた、研究を通じた実際の問題解決である。

 

乾燥してしまった地域にある水路に、土嚢(どのうでダムを作り、周辺地域の水位の変化を確かめる。(写真提供:甲山准教授)

乾燥してしまった地域にある水路に、土嚢(どのう)でダムを作り、周辺地域の水位の変化を確かめる。(写真提供:甲山准教授)

問題解決のための2つのアプローチ

左が火災前、右が火災後、水質は大きく異なる。(写真提供:甲山准教授)

左が火災前、右が火災後、水質は大きく異なる。(写真提供:甲山准教授)

甲山准教授らが進める乾燥荒廃泥炭地の再湿地化と泥炭湿地在来樹種の再植は、インドネシアの泥炭火災と煙害を克服する切り札となりうる。同国の泥炭復興庁は、2020年までの5年間で、200万haの再湿地化と植林を目標に定めている。とはいえ問題解決は決して簡単ではない。
「既に乾燥し劣化してしまった泥炭地を、誰がどのように湿地化し、植林していくのか。地域に暮らす住民や企業が、意欲をもって再湿地化に取り組み、その地で農業や林業を行うためには、どのような仕組みが必要なのか。泥炭地を再湿地化して植栽すれば、本当に火災を防止できるのか。問題を社会科学的な側面と自然科学的な側面に分解し、双方から解決を図る必要があります」
根底には慣習的な問題がある。そもそも泥炭地で、なぜ火災が起こるのか。乾燥して燃えやすいことは事実だが、着火しないかぎり火災は発生しないはずだ。火災の原因は、自ら火をつける焼畑農業の伝統にある。
「泥炭地に生えるシダなどを処理するために、現地の人達は以前から火をつけて燃やしていました。植物は燃えると肥料になるのです。現地住民はこれまでずっと、火をコントロールしながらうまく使ってきました。彼らにすれば、火は友だちであり、男が15歳になって火を使いこなせないようでは一人前とは見なされない文化的慣習があります。ところが地下水と土壌の状況が変わったために、これまでのやり方が通じなくなった。だからといって彼らは、長年続けてきたやり方を簡単に変えようとはしません。彼らを説得するためには、何らかの経済的なメリットを用意することが必要です」

一酸化炭素計測装置で火災前後の状況をチェック、火災時に増加していることがわかる。(画像提供:甲山准教授)

一酸化炭素計測装置で火災前後の状況をチェック、火災時に増加していることがわかる。(画像提供:甲山准教授)

問題解決のカギとなるのが、現地住民との話し合いによる行動変革だ。(写真提供:甲山准教授)

問題解決のカギとなるのが、現地住民との話し合いによる行動変革だ。(写真提供:甲山准教授)

問題の解決には、住民に対する現実的なアプローチと科学的アプローチの両輪が必要だ。甲山准教授は、泥炭地の水位変化が、土壌の水分や栄養分などにどのような影響を及ぼすか、綿密な調査に取り組んでいる。これまで火災が起きていない比較的天然状態に近いサイトと、湿地林の伐採により火災を繰り返したサイトでそれぞれ地下水を採取。水中に溶けている有機物の質量を比較し、泥炭地環境の変化が水中の物質循環に及ぼす影響まで精査している。
「ヘイズに関しても、『高精度Xバンドドップラーレーダー』という測定器を使い、降水と火災状況の調査を行っています。2016年5月からは、一酸化炭素(CO)とPM2.5をモニタリングするセンサーを村ごとに設置して、状況把握に努めています」

学生時代に培った、問題解決を目指すマインド

現地に溶け込み、現地住民の一員として問題解決に取り組む姿勢が、状況を変える。(写真提供:甲山准教授)

現地に溶け込み、現地住民の一員として問題解決に取り組む姿勢が、状況を変える。(写真提供:甲山准教授)

甲山准教授は、京都大学探検部OBである。部の活動を通じ、目の前の問題を解決して先に進むマインドを養ってきた。それが今も、研究者としての根本に備わっている。甲山准教授が、大火災が発生するメカニズムを解明するだけに留まらず、住民の暮らしを含めた抜本的な問題解決を目指すのはそのためだ。
研究は、火災を抑止し煙害を防ぐ方策を考えるための手段である。現象に対するアプローチはあくまで科学的に進めながら、実際の問題解決のために必要な人を動かすメカニズムにも目配りする。だから、お金の絡む交渉事をも厭わない。
「研究は、理想的な条件の下でだけ行えばいい。そんな考え方があることは理解しています。純粋に科学を追究するのなら、そうあるべきかもしれません。けれども、それでは現実の問題は解決しません。問題は必ず現場で起こっているのです。だから、現場で泥にまみれながら、解決策を見つけ出す。このアプローチは探検部時代に養われたものであり、さらには学部生の時に学んだ京都大学土木工学コースでの教育から来ているものだと思います。何としてでも問題を解決する。それが自分の役割と受け止めています」
科学研究のあり方はさまざまだ。だが、あくまで現場の問題解決にこだわる甲山准教授の思いは、現地の人たちにも確実に届いている。冒頭で触れた、インドネシア政府との共同声明は、そのひとつの象徴と言えるはずだ。

甲山 治(こうざん おさむ)
京都大学 東南アジア研究所
准教授
2005年、京都大学工学研究科環境地球工学専攻博士課程修了、工学博士。山梨大学研究員、京都大学防災研究所研究員、東南アジア研究所特定助教を経て、2009年より現職。専門分野は土木工学、水文学。京都大学探検部OB。土木学会、水文・水資源学会。

京都大学東南アジア研究所

http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/
1963年、京都大学の学内措置として東南アジア研究センターが設立され、1965年に東南アジア地域を総合的に研究する全国初の研究センターとして官制化された。2004年に附置研究所となり、東南アジア及びその周辺地域を総合的に研究することを目的とする東南アジア研究所に改められる。2010年4月からは共同利用・共同研究拠点「東南アジア研究の国際共同研究拠点」としての役割を担っている。

【取材・文:竹林篤実 / 撮影:大島拓也】

Links

文部科学省日本学術会議国立大学共同利用・共同研究拠点協議会