私たちが目で見ることのできるものは、実在する物質のほんの一部でしかないことがわかっている。じつは、目に見えている物質の5,6倍もの量の、目に見えない物質がある。それが「ダークマター(暗黒物質)」と呼ばれるものだ。存在することは間違いないと言われているが、その正体はいまなお全く不明で、宇宙最大の謎の一つとされる。
その正体を突き止めるべく、世界各地で研究が進められている。その一つが、岐阜県飛騨市神岡町の東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設で行われている「暗黒物質探索実験(XMASS実験)」だ。山深い地の鉱山の跡地でどのようにダークマターの正体に迫ろうとしているのか。2010年、実験開始間もない時期から携わってきた岸本康宏准教授に最新の状況を伺った。
目には見えず、正体も分からないダークマターがなぜ存在するとわかるのか。それはまず図1の「宇宙マイクロ波背景放射」によって説明される。
宇宙マイクロ波背景放射は、もともとは1964年に発見され、その後観測・研究が重ねられる中で、その意味するところが詳しく理解されてきた。これは、宇宙のあらゆる方向からほぼ均一に観測されるマイクロ波領域の電波であり、宇宙誕生からわずか38万年後に放出された光がマイクロ波として今に届いているのである。つまり図1は、宇宙誕生から38万年後の宇宙の姿を表しているのだ。
宇宙マイクロ波背景放射は第一に、ビッグバンが起きた証拠とされた。それは、マイクロ波が全方向から等方向的に届いていて、当時宇宙がほぼ一様だったことを示唆するからだ。しかし全くの均一ではなく、わずかに温度のムラ(ゆらぎ)があることが後にわかり、それゆえ、現在の宇宙――銀河が集まるところがある一方で、全く何もないところもある不均一な宇宙――ができたのだと考えられるようになった。宇宙初期の量子(=物理量の最小単位)の揺らぎがタネとなって、暗黒物質が集まり、その重力によって、現在の宇宙の構造が出来上がった。
図1における各地点の色の違いは、当時、宇宙全体に極めてわずかながら存在した温度のムラを示している。それは宇宙の各点における密度の違いに対応する。その点を岸本准教授は次のように説明する。
「たとえば、物を叩いたときに鳴る音を想像してみてください。鉄を叩くと高い音がするけれど、豆腐は叩いても音はしません。つまり、聞こえる音の大きさと高さによって、そこに何があるかを予測することができます。同様に、温度のムラの大きさとパターンを調べることで、そこにどのような物質がどれだけあるかを知ることができるのです」
図1における色とパターンを元に、宇宙全体の内訳を表したものが図2だ。
つまり、私たちが観測することができる星や銀河などすべて合わせても、実際に宇宙全体にあるべき全物質の5%にしかならないのである。95%は未知であり、そのうち、27%がダークマターだとされる。残りの68%は「ダークエネルギー」と呼ばれるもので、これは宇宙を加速膨張させるエネルギー源になっていると考えられているが、ダークマター以上にその正体は謎に包まれている。
いずれにせよ、ダークマターが存在すると考える理由はこのように説明される。ただ、宇宙にダークマターがあったとしても、我々の銀河の近くにあるかどうかはまた別の話である。宇宙はとてつもなく広く、均一ではないからだ。我々の銀河にダークマターがあるかどうかは別に調べる必要がある。それが図3のグラフである。
銀河は回転しているため(図3左)、銀河を構成する星は遠心力で外側に引っ張られる。それでも銀河としてとどまり続けていられるのは、中心に向かって何らかの引っ張る力が働くからだ。その力を与えるのは銀河の星などの物質が生み出す重力である。
しかし、銀河内の目に見える物質すべてを足し合わせても、星にかかる遠心力とつりあう力を生み出すには十分ではないことが観測からわかってきた。それゆえ私たちの銀河にも目に見えない物質があり、重力を生み出していると考えざるを得ない。私たちの住む天の川銀河でも同じことが観測されており、私たちの銀河にもダークマターがあるのである(図3グラフ)。
「ダークマターは未知の素粒子だと考えられています。我々の銀河には概ね、1リットル中に水素原子300個分ぐらいあると推定されています。“WIMP”と呼ばれるダークマターの候補とされる粒子は、質量が水素分子100個分くらいと考えられていますから、1リットルのペットボトル一本に1個から数個ぐらいダークマターがある計算です。つまり、いまも私たちの目の前にダークマターはある。しかもそれが宇宙の最大の謎なのです。そう思うと、見つけたくなりませんか」
ダークマターを見つけようとする動機について、岸本准教授はそう語った。
これまでの観測・研究から、ダークマターは次のような性質を持つ素粒子だと予測されている。
1 電荷を持たない
2 重さがある
3 安定している
ニュートリノはこの条件を満たすのだが、ニュートリノがダークマターであるとすると、高速で飛び回るため、宇宙初期の揺らぎが銀河のような大きな構造まで育つことができない。そのため、ダークマターは未知の素粒子だろうとする予測が主流である。
中でも一番有力とされているのが、先ほど登場した“WIMP”の一種である「ニュートラリーノ」だ(名前は似ているがニュートリノとは関係がない)。“WIMP”とは「Weakly Interacting Massive Particle」の略称で、日本語にすると「弱く相互作用する重さのある粒子」と表現される。これが、XMASS実験によって捉えようとしているものである。
ではどうやってニュートラリーノ(またはその他のWIMP)を捉えようとしているのか。ここでXMASS実験の概要を説明しよう。
XMASS実験は、岐阜県飛騨市神岡町の東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設で行われている。この研究施設は、2001年に採掘を休止し事実上閉山した神岡鉱山の山頂直下1000メートルの場所にあり、特にニュートリノ研究で有名なスーパーカミオカンデ(SK)によって知られている。宇宙線によるバックグラウンド(ノイズ)が地表より大幅に少ないという環境を生かして、XMASS実験もこの場所で始まった。
図4がXMASS実験の検出器全体である。直径・高さともに10メートルのタンクで、中はきわめて純度の高い水で満たされている。その中央に、マイナス100度に保たれた液体キセノン約800キロが詰まった直径約1メートルの銅製の容器があり、ここが検出器そのものとなる(図5)。
ダークマターは、稀ではあるが物質と衝突すると考えられている。その衝突の際に何か信号が得られればダークマターの存在を確かめることができるはずで、衝突の相手として使われるのがキセノンである。キセノンは発光しやすく、想定されるダークマターがぶつかれば、そのエネルギーを一部もらって光を出すと考えられるからだ。
銅製の容器に覆われたキセノン検出器は、642本の光電子増倍管で囲まれている。光電子増倍管は、入ってきた光を電気信号に変える装置で、キセノンが発光するとそれが電気シグナルとして検出される。
ただし、キセノンを発光させるのはダークマターだけではない。宇宙から飛んでくる放射線など、各種バックグラウンドによって始終発光し続ける。そのためダークマターによるシグナルなのかどうかを知るには、シグナルの解析が必要となる。そのとき、まずは検出器内のどこで発光したかが重要な情報となる。
「キセノンを発光させるものの大部分がα線、β線、γ線といった放射線です。これらによるキセノンの発光具合はダークマターの場合とほとんど変わりませんが、放射線は検出器に入るとすぐにキセノンとぶつかるため、検出器の周辺に並ぶ光電子増倍管のすぐそばで光ります。一方、ダークマターは、宇宙のどこにでもあり、その光は検出器の中央でも端の部分でも同じ確率で検出されると考えられる。それゆえ、中央で光ったとするシグナルがあれば、それはダークマターの可能性があると考えられるのです」
ダークマターによるシグナルが持つと考えられるもう一つの重要な特徴が、季節による変動である。これを説明するのが図6だ。太陽系は、銀河の中心から約26100光年離れたところを秒速240キロの速度で動いている。地球は太陽の周りを公転するが、それと同時に、太陽系そのものも銀河の周りを公転する。そのため、地球の動く向きと太陽の動く向きが一致する夏と、逆になる冬では、銀河の中に散在するダークマターとぶつかる頻度が変わるはずなのである。
「ダークマターに対しての速度がより大きくなる夏の方が、ダークマターも多く検出されるはずです。つまり、一年間検出を続けて、夏と冬で有意な差があるシグナルがあれば、それはダークマターの可能性があるのです」
まとめると以下となる。
シグナルの取得は24時間365日続いている。そのうち、光った場所などから「これはダークマターらしい」というものを重ねていく。それを年単位で見て季節変動があれば、ダークマターである可能性が高くなる。さらにそのエネルギーなどの性質が想定する粒子に近いかを調べていき、あらゆる条件が満たされたとき、その正体が、たとえばニュートラリーノらしい、ということが言えるのである。
しかし、ダークマターはその姿を容易には現わさない。そのようなシグナルはまだ得られていないのである。
この実験の難しさは、ダークマターが全く思いもかけない素粒子である可能性もあることだ。その場合、現在の方法では検出しえないということもありうる。
「2015年に、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構の機構長である村山斉さんの研究グループが、ダークマターの正体が、ニュートラリーノなどのWIMPとは全く異なる性質のSIMP(Strongly Interacting Massive Particle)と呼ばれる粒子の仲間である可能性を示す論文を発表しました。SIMPはWIMPよりも格段に軽い粒子であるため、比較的重いキセノンにぶつかっても、キセノンは光ってくれません。そのため、もしSIMPがダークマターであるとすれば、それを検出するためにはXMASSとは全く違った実験が必要になると考えられます」
ダークマターがニュートラリーノなどのWIMPだとする仮説は最も有力とされながらも、観測結果と合わないという重大な問題もある。WIMPだと仮定すると、銀河の中心は現実よりももっと高密度であるはずであるという計算結果が導かれるのだ。
一方、ダークマターがSIMPだとする仮説はその矛盾点は解消するものの、これまで構築されてきた素粒子の理論の流れとは大幅に異なっている。そのため、SIMPだとすると、今度は素粒子について様々なことを根本から考え直す必要が出てくるという。
このように、何が正しいかがまだ全く分からないというのがダークマター研究の現状なのである。
実験が開始された2010年から現在までの期間、XMASSが出してきた成果には、大きく次の二つがある。
一つは、WIMPともSIMPとも異なる粒子で、ダークマターの候補として考えられてきたSuper WIMPがダークマターである可能性を排除したことである。Super WIMPと呼ばれる粒子が宇宙誕生の初期に生成され、それが現在のダークマターの量をうまく説明するというシナリオがあったが、XMASSの得たデータを解析したことでそれが正しくないことがはっきりした。
もう一つの成果は、ダークマターを研究するイタリアのDAMA/LIBRAグループが検出したと主張する季節変動を否定したことである。
「DAMA/LIBRAは世界で唯一、ダークマターを見つけたと主張しているグループです。私たちとは全く違う方法での検出を行っていて、彼らの結果は、ここ十数年、きれいな季節変動を示すデータを得つづけています。しかし彼らが得ている結果は、我々やアメリカの研究グループのいずれが追試しても見つけることができていません。特に我々は、彼らが検出した結果について、こちらのデータにおいては季節変動がないことを示しました」
他の施設の追試では、はっきりと季節変動を否定したわけではなかったので、XMASSが<季節変動がない>ことをはっきり示したのは大きな成果だったという。
「追試によって確認されて初めて、その観測が正しかったということが言えます。それゆえ彼らが標準的なダークマター信号を見つけたとは、今のところは考えられていません。しかし、きれいに季節変動が出ているので、何らかのものを見ていることは確かなのでしょう。ただそれが何なのかは誰も分かっていません」
ダークマターの研究はまだ一切先行きが見えてこない。いつごろダークマターが見つかりそうか、といった予想はあるのだろうか。
「全く分からないというのが正直なところです。より検出しやすくするために、私たちは、さらに大きな次世代XMASS検出器を作ろうという計画を進めています。しかしそれを作ったとしても、これで確実に検出されますと言うことはできません。検出器をさらに大きくしてもやはり何も見つからなければ、そもそもWIMPなのかどうかというところに立ち返らないといけなくなるかもしれません」
ダークマターの研究は、いまなお試行錯誤の段階にあると言っても過言ではない。それだけ難しく、手さぐりを続けなければならないこの研究の魅力は何なのだろうか。そう問うと、岸本准教授はこう答えた。
「目の前に確実にあるけれどその正体がわからない。しかもそれがこの宇宙における非常に重大な謎である。そのようなすごい対象に挑めるということが、やはり一番の魅力だと私は思います。そのために実験装置を実際に動かし、日々試行錯誤を重ねながら発見を目指す。そうしたことができることそのものが、一番の醍醐味だと感じています」
岸本准教授は、もともと検出器そのものにとても興味があったという。
「私は『検出器オタク』なんです。高校時代の物理の先生が、授業中ずっと実験ばかりする人でした。その影響が大きく、卓上で自分の手で作り上げた実験装置や検出器で実験をしていきたいという気持ちで、物理学の世界に入りました。それゆえ学部のころは、素粒子物理はあまりにも壮大に見えて、3年ではレーザー、4年では超電導と、より小さなスケールで実験ができそうな分野を選びました」
ところが1994年に大学院に進学するとき、素粒子やダークマターの世界に入ることになる。
「東京大学で素粒子物理を研究する蓑輪眞先生の研究室に行ったのですが、当時、ダークマターを探すために使われていた検出器は角砂糖ぐらいの大きさでした。それを知って、それなら自分の好きなスタイルにも近い気がしたんです。かつ、当時からダークマターの存在は間違いないと言われていて、自分も興味があったのでこの分野に進みました」
しかしそれから20年以上が経ってもダークマターは見つからず、検出器は、角砂糖の大きさから10メートル規模のものになった。そして岸本准教授は現在、さらに大きな、XMASSの後継機を作る計画を牽引する立場になっている。
「現代の物理学は、暗黒物質の発見までもう一歩というところまで来ていると思います。その一方で、もしかしたらWIMPとは違う素粒子かもしれない、という気持ちがないことはありません。ダークマターはWIMPであろうという予測は、例えば、『超対称性理論』から導かれます。それは宇宙の基本構造を説明する仮説で、いろんなことを一気に説明できるとても素晴らしいものです。それゆえ大半の研究者がダークマターはまずWIMPに違いないと考えてきたのですが、実際にはなかなか見つからない。WIMPが最有力候補であることに変わりはありません。ただ、色々な可能性も考えながら実験をする必要があるというのが正直なところです。自然が人間の予想とは違った姿を見せることは少なからずあるからです」
ダークマターは、今もそれほどに謎に包まれている。しかしあるのは間違いない。
「科学者として、それは解き明かさないといけないですよね」
岸本准教授が垣間見せる熱い思いと真摯な自問には、まさにサイエンスの醍醐味が詰まっている。
陽子崩壊を実験的に確認することを目的として1983年に設立された東京大学宇宙線研究所神岡地下観測所を前身とし、1995年に新設された。同時期に完成したスーパーカミオカンデによるニュートリノ観測を始め、XMASS実験によるダークマターの探索など、神岡鉱山の地下1000メートルの地で、宇宙・素粒子分野における世界最先端の研究や実験が行われている。
【取材・文:近藤雄生/撮影:砺波周平】