研究所・研究センター一覧

未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.105
「他者」や「死」を理解する脳の働きとは
神経細胞を操作する脳研究の最前線
東京大学定量生命科学研究所
奥山 輝大 准教授

ヒトを含めた多くの動物は、生きるために家族や群れなどの集団を作って社会を築き、その社会に適応した「社会性行動」をとる。こうした社会性行動には、複雑な脳の機能が関与していると考えられているが、その神経メカニズムには未知な点が多く残されている。東京大学定量生命科学研究所の奥山輝大准教授は、最先端の技術を駆使して、動物やヒトの社会性行動における脳神経のメカニズムの解明に挑んでいる。

脳は「他者」をどう記憶するのか

動物の行動を車にたとえると、車の動きが「行動」、機械やエンジンの動く様子は「神経の働き」、車の設計図が「遺伝子」だと説明する奥山准教授。これらをすべて理解して、初めて行動の仕組みが見えてくる。

動物の行動を車にたとえると、車の動きが「行動」、機械やエンジンの動く様子は「神経の働き」、車の設計図が「遺伝子」だと説明する奥山准教授。これらをすべて理解して、初めて行動の仕組みが見えてくる。

社会性行動を解析する奥山准教授が、現在最も興味を抱いて追究しているのが、「他者」を認識し、記憶する脳のメカニズムだ。他者は敵にも味方にもなる。出会った他者がすでに知っている相手なのか、見知らぬ相手なのか、すでに知っているのならどういう相手なのかという情報がなければ、適切な行動を起こすことはできない。相手を認識し、記憶することは、社会性行動を起こすために必要な能力といえる。
その能力が障害されると、社会のなかで不都合が起こることは容易に想像がつく。自閉スペクトラム症などがまさにその典型的な例だ。
自閉スペクトラム症は、主に社会的コミュニケーションに問題が現れる脳機能障害だ。自閉性障害、アスペルガー症候群などが含まれ、症状も多岐にわたるが、友人や知人のことを覚えづらいという社会性記憶の異常も起こりやすいことが知られている。自閉スペクトラム症の関連遺伝子は複数分かっているが、それらがどのように症状を引き起こしているのかは、まだ解明されていない。そもそも、一般的な脳のなかで、社会性記憶がどのように保存され、処理されているのかも謎に包まれたままだ。

突起のように見える左右のホルダーの中には、それぞれマウスが1匹ずつ入って、外から見えるようになっている。そこに実験対象のマウスを入れ、どちらのホルダーに多く接近するかを解析する。マウスの脳には微小な電極や脳内内視鏡や光ファイバーなどが埋め込まれ、外部から神経の活動を観察したり操作することができる。(画像出典:Okuyama Lab)

突起のように見える左右のホルダーの中には、それぞれマウスが1匹ずつ入って、外から見えるようになっている。そこに実験対象のマウスを入れ、どちらのホルダーに多く接近するかを解析する。マウスの脳には微小な電極や脳内内視鏡や光ファイバーなどが埋め込まれ、外部から神経の活動を観察したり操作することができる。(画像出典:Okuyama Lab)

奥山准教授たちは、この謎に、最新の脳科学の技術を駆使して迫った。自閉スペクトラム症のモデルマウスを使って、行動実験と神経活動記録を行ったのだ。
「マウスは好奇心旺盛な生き物です。見慣れたマウスと、初めて見るマウスに同時に出会うと、見慣れたマウスではなく、新しいマウスの方によく近づき、合計の接近時間が長くなります。しかし、ヒトの自閉スペクトラム症関連遺伝子の1つを潰して作られた自閉スペクトラム症モデルマウスでは、見慣れたマウスと新しいマウスの接近時間は同じになります」
奥山准教授たちは、マウスの行動の様子をビデオに撮りながら、同時に脳内に埋め込んだ微小な電極で神経細胞の活動を記録した。神経活動の解析の結果、記憶に関係している海馬という脳の部位の腹側の神経細胞の集団が、他者の記憶の形成に関与していることが判明した。さらに、自閉スペクトラム症モデルマウスでは、その部位の活動が変化して、記憶を形成するための適切な神経活動も起こらなくなっていることが明らかになった。

左のロッカーのような箱の中でマウスの行動実験が行われている。ビデオの映像をコンピュータで解析していく。

左のロッカーのような箱の中でマウスの行動実験が行われている。ビデオの映像をコンピュータで解析していく。

他者の認識はさまざまな社会性行動に関わってくる。たとえば、誰かを好きになったり嫌いになったりする気持ちがどのような神経メカニズムで生成されるのかということも、奥山准教授が行っている研究テーマの1つだ。奥山准教授らは、好き嫌いの記憶が形成される脳の部位を突き止め、光刺激で神経細胞の活動を操作する「オプトジェネティクス(光遺伝学)」の技術を使い、マウスの「好き」や「嫌い」を人為的に書き換えることにも成功している。
このように、細胞レベルで社会性行動のメカニズムが分かれば、疾患の治療法にもつながっていく。自閉スペクトラム症も、障害が起こる脳の部位やメカニズムが分かれば、新たな治療法が開発されるかもしれない。また、症状の理解が進めば、環境を配慮するなどの対応ができる。多様性を受け入れる社会につながっていく。
「自閉スペクトラム症の人たちが見ている世界と、僕たちが見ている世界は違っています。研究が進めば、僕たちも自閉スペクトラム症の人たちの世界を認識できます。持っている知識によって世界の見え方が変わるということを、いろいろな人に知ってほしいですね」

神経細胞を操作する、「オプトジェネティクス」の最前線へ

奥山准教授が社会性行動の神経メカニズムを自身の研究テーマに選んだのは、実験技術の発展を考えたときに、このテーマが今後の脳研究のメインストリームになっていくだろうと考えたからだった。
「大学院生のときに、これからは遺伝子と神経と行動をつなぐ研究が大切になると考えました。当時、メダカやゼブラフィッシュなどの小型魚類を使った遺伝学的手法が使えると思い、メダカの恋愛について研究を始めることになりました」

恋をするためには他者を認識する必要がある。繁殖行動は本能に関わるため、遺伝子の働きも関与している可能性が高い。しかし、メダカも恋をするのだろうか。
「実は、メダカのメスは『側にいたオス』と『見知らぬオス』を見分け、『側にいたオス』の求愛はすぐに受け入れることが、経験的に分かっていました。繁殖を試みるときには水槽の中でオスメスをすぐに一緒にするのではなく、オスだけを透明の容器に入れてメスとお見合いさせると成功率が高いのです」
メダカといえども、繁殖の相手は誰でもいいわけではないのである。奥山准教授はそこに目をつけた。

他の研究機関で発表をして、そのセミナーの相手から利根川教授に推薦文を書いてもらうという「外堀を埋める作戦」で、利根川ラボ入りを果たしたと話す奥山准教授。

他の研究機関で発表をして、そのセミナーの相手から利根川教授に推薦文を書いてもらうという「外堀を埋める作戦」で、利根川ラボ入りを果たしたと話す奥山准教授。

そこで奥山准教授は、遺伝子組み換えやレーザーで神経細胞を破壊した変異メダカを用いて実験を行った。そして、メスがパートナーを受け入れるメカニズムを分子レベルで明らかにした。その成果は、2014年にScience誌に掲載された。
その後、奥山准教授は、神経細胞を操作できるオプトジェネティクスをメダカで実現しようと試みた。当時、オプトジェネティクスは、培養細胞や線虫では成功していたが、マウスなどの複雑な生物ではまだ始まったばかりであった。奥山准教授はメダカを使ってさまざまに試行錯誤したが、結局、奥山准教授が狙っていたのとほぼ同じ方法で、マサチューセッツ工科大学の利根川進先生のラボがマウスのオプトジェネティクスに成功したのだ。
だが、奥山准教授はくじけなかった。
「もし、オプトジェネティクスの開発に成功したら、こんな実験をやろうというアイデアが山ほどありました。それらを実現したくて、まさにその狙っていた方法の論文を出した利根川進先生のラボに、半ば強引に入れてもらいました」

顕微鏡の下に麻酔をかけたマウスを固定し、狙った脳の部位に処置を加える。

顕微鏡の下に麻酔をかけたマウスを固定し、狙った脳の部位に処置を加える。

利根川ラボでは、社会性記憶が海馬で貯蔵されるメカニズムや、それが操作可能であること、他者に対する好き嫌いを決める神経メカニズムなどを研究した。
「オプトジェネティクスを用いれば、狙った細胞だけを狙ったタイミングで活動させたり活動を止めたりできます。この技術が登場したからこそ、好き嫌いの感情や他者の認識のような、外から見ているだけでは分からない、微妙で複雑な脳の働きも調べることができるようになったのです」

「生」と「死」を見分ける、脳の働き

実験に使う装置はほとんど手作りだ。マウスの頭の大きさに合わせ、小さな部品を組み上げていく。

実験に使う装置はほとんど手作りだ。マウスの頭の大きさに合わせ、小さな部品を組み上げていく。

マウスの実験で分かったことは、ヒトに応用可能なのだろうか。視覚や聴覚のような原始的な脳機能なら共通していてもおかしくないが、社会性行動のような高次な行動は、マウスとヒトでは根本的に違うのではないだろうか。そう問いかけると、「マウスでヒトの社会性行動を研究することは可能だと思います」と奥山准教授は迷いなく言い切った。
「むしろ、高次の行動の方が動物実験で解析しやすいかもしれません。原始的な脳機能は生物が長い時間をかけて進化をし続け、生命が試行錯誤を重ねて手に入れた極めて複雑なものです。単に物が見えるという『視覚』も、調べれば調べるほど高等動物では洗練されていることがわかります。しかし、哺乳類に進化してから獲得した脳機能などは、生物の進化の歴史から見ると、非常に短い時間しか進化するための余地を与えられていません。遺伝子も神経の働きもマウスとヒトでは、とても似ていると思います」

今、奥山准教授が進めているプロジェクトのひとつに、死者の認識がある。他者を認識するとき、私たち人間もまず、その他者が生きているのか、死んでいるのか(もしくは生命のない物体なのか)を無意識に判断する。動物も、生きている個体と死んでいる個体に対する反応は違う。マウスの場合、初めて見る相手には近づく傾向があるが、死体の場合は離れていく。ハダカデバネズミという、地中に巣を作り、まるでアリやハチのような強固な社会生活を営んでいる動物がいるが、彼らは死んだ仲間を認識するだけでなく、巣の外へ運び出す行動を取る。
動物も死者と生者を見分け、恐らく何らかの情動を抱き、異なる行動をとっている。死者に出会ったとき、脳の中で何が起こるのか。その答えは、「生」とは何かという問いに新しい手がかりを与えるだろう。私たちは、遺伝子と哲学がつながる時代の目撃者になるのかもしれない。

 
奥山 輝大(おくやま てるひろ)
東京大学定量生命科学研究所 准教授
1983年東京生まれ。東京大学理学部生物学科卒業後、東京大学理学系研究科生物科学専攻博士課程修了、博士(理学)。マサチューセッツ工科大学博士研究員(2013年〜2017年)を経て、2017年より現職。2019年文部科学大臣表彰若手科学者賞を授賞。
 

東京大学定量生命科学研究所
https://www.iqb.u-tokyo.ac.jp/

1953年に設立された応用微生物研究所を前身とする。1993年に分子細胞生物学研究所に改組され、2018年のさらなる改組によって定量生命科学研究所が誕生した。構造生物学やゲノム学を駆使して、定量性と再現性を重視した新たな生命科学研究を展開する。「生体機能分子の動的構造と機能の解明」という共通のキーワードのもと、先端定量生命科学研究部門、応用定量生命科学研究部門、生命動態研究センター、高度細胞多様性研究センターの4つの研究領域が設置されている。

 

【取材・文:寒竹泉美 撮影:片山菜緒子】

Links

文部科学省日本学術会議国立大学共同利用・共同研究拠点協議会