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未踏の領野に挑む、知の開拓者たち vol.101
統計学と会計学とマーケティング、
3つの武器で経済学のビジネス活用を促進する。
神戸大学計算社会科学研究センター
加藤 諒 准教授

神戸大学計算社会科学研究センターの加藤諒准教授は、経済学に関する3つの専門分野を持つ研究者だ。ベースとなっている「統計学」に、高校時代から関心を抱いてきた「会計学」と、現実の「マーケティング」を組み合わせ、企業との共同研究を進めている。「研究を通じて実務と関わり続けたい」と話す加藤准教授は、その3つの学知を武器に、経済学によってビジネスの課題を解決する挑戦を続ける。

チラシの有効性を統計データで解析

毎朝、新聞とともに自宅に届けられる折込チラシ。新聞購読者は年々減り続けているとはいえ、日々の食品などの買い物のために、チラシを参考にする人はまだまだ少なくない。そのチラシにはよく「目玉商品」として、メーカーが希望する小売価格よりもずっと安い金額で売られる商品が載っている。読者の方々の中にも、きっと目玉商品を目的に、近所のスーパーに足を運んだ経験をお持ちの方がいることだろう。
店舗への集客数を上げるために、採算を度外視して販売する商品のことを、マーケティング用語で「ロスリーダー」と呼ぶ。ロスリーダーを目当てに来店した客が他のものを「ついで買い」すれば、トータルでは利益になるという考えから行われる販売戦略だ。

「経済学を理論として考えるだけでなく、実務に結びつけ、社会の課題を解決することに興味があります」と語る。

「経済学を理論として考えるだけでなく、実務に結びつけ、社会の課題を解決することに興味があります」と語る。

しかしメーカー側からすると、とんでもなく安い値段で自社の商品が売られることは、ブランド価値の毀損につながりかねない。それに大安売りの目玉商品を告知することで、本当にそのスーパーの来客の増加につながるのか、売上を増やすのかは、きちんと検証しなければ分からない。これまで経験則で行われてきた、スーパーのチラシによるマーケティングの効果を検証するために、最新のデジタルツールを用いてデータを集め、統計の光を当てるとどうなるか。加藤准教授はその研究に近年取り組み、論文にまとめた。
「研究の発端となったのは、ある清涼飲料水の著名な大手メーカーから、私の所属していた研究室に相談が寄せられたことでした。そのメーカーの主要ブランドの飲料は、1.5リットルのペットボトルの希望小売価格が320円であるにも関わらず、4割以下の値段の127円ぐらいでよく売られていたのです。そのことに悩んでいたメーカーの担当者の方から、『うちの飲料をチラシの目玉商品として扱うことが、実際にどれぐらいスーパーの利益につながっているのか、客観的に分析できないでしょうか』と相談されたことが研究につながりました」

加藤准教授によれば、スーパーマーケットの業態はその販売方針によって、大きく2つに分類されるという。1つ目が「Every Day Low Price(以下、EDLP)」と呼ばれる、どの商品も平均的に安い代わりに、商品の値段を日によって変動させないことを特徴とするスーパー。2つ目が「High and Low(以下、ハイロー)」と呼ばれる、日によって安い商品が入れ替わるスーパーである。日本のスーパーマーケットチェーンの多くが後者のハイロー戦略をとっていると加藤准教授は言う。
「ハイロー戦略がメインの日本の小売業では、一般的にチラシが重要な集客ツールとなっています。チラシを使ったプロモーションは、ある特定の地域をターゲットにすることができ、また比較的低コストの広告媒体であるため、とくに小規模店舗のプロモーションでは、まずチラシが使われます。また、近所のいろいろな店に頻繁に買い物に行く住民にとっても、価格を比較するための良いツールになっているのです」

GPSデータを解析し飲料メーカーに提案

加藤准教授の研究チームは、チラシの効果を客観的に分析するため、10の地域にある、全部で80店のスーパーマーケットを分析対象と定めた。それらの地域には、先述の「EDLP」と「ハイロー」という異質の戦略をとるスーパーが入り混じって存在する。「ハイロー」店舗のチェーンが撒くチラシが、「EDLP」戦略をとる店を含めた他店に、にどのような影響を与えるのか、検証することが目標となった。

図中の上が従来行われてきた一店舗を対象とする海外での研究。加藤准教授は図中の下半分のように、GPSを利用し80店舗の来店・購買情報を分析した。

図中の上が従来行われてきた一店舗を対象とする海外での研究。加藤准教授は図中の下半分のように、GPSを利用し80店舗の来店・購買情報を分析した。

「実際に研究のツールとして使用したのは、80店舗のチラシのデータと、スマートフォンのGPSデータ、そして店舗のレシートです。アプリ等を通じて許可を得たユーザーの位置情報を、マーケティングデータとして提供している企業があります。その会社からGPSデータを購入し、当該商圏の居住者たちが、チラシが撒かれた日にどのスーパーの店舗に足を運んで、どれぐらい買い物をしたか、解析を行いました」

80店舗のすべてに地図上に「囲み線」を設定し、買い物客が囲み線に入った場合には、その店舗を訪れたことを意味すると判断し、来店時間とともに個別の識別(ID)を記録した。
この研究の画期的な点は、複数の競合する店舗の来店情報を分析したことである。それまでに海外で行われていた研究では、1店舗、あるいは単一チェーンの来店情報と広告(チラシ)のデータのみを用いており、同一商圏内に居住する消費者が利用する可能性の高い、競合店となる店舗の存在を考慮できていなかった。本研究では、GPSによる位置情報と商圏内80店舗のチラシ情報を取得することで、この問題を解決することができた。結果として次の2つのことがわかったと加藤氏は言う。

・ハイロー戦略を取るスーパーの消費者は、競合店舗のチラシ情報にも反応しやすい
・EDLP戦略を取る小売店舗の消費者は、競合店舗のチラシ情報には反応しにくい

神戸大学計算社会科学研究センターでは、英語による論文発表が業績として求められる。本研究も海外のマーケティング論文誌「Journal of Advertising, Vol. 48」に掲載された。

神戸大学計算社会科学研究センターでは、英語による論文発表が業績として求められる。本研究も海外のマーケティング論文誌「Journal of Advertising, Vol. 48」に掲載された。

「この結果から、ELDP店舗においては、ブランド価値の棄損を引き起こすようなロスリーダー商品を過剰に売ることはあまり意味がない、という考察が導かれます」
研究成果を伝えた清涼飲料水メーカーは、この結果を好感を持って受け止め、小売店への営業戦略に加藤准教授の分析を生かしていく方針にあるという。

財務諸表から監査法人の「質」を読み解く

加藤准教授の研究のほとんどは、上記のように実際の企業や社会の動きと密接に関連するテーマだ。その姿勢は学生のときから変わらない。大学院生のときに取り組んでいたのが、「大きな監査法人と、小規模の監査法人では、どちらがきちんと監査を行っているか、統計データからその『質』を推測する」という研究だ。
「東京証券取引所に上場しているすべての企業の財務諸表データを手に入れて、それぞれの会社がどの監査法人に会計監査を依頼しているか、チェックしました。そのうえで、財務諸表の数字を、仕入れや販売に関する業界平均の数字と比較することで、突出していたり少なすぎたりする不自然な数字がないか、統計的に分析していったのです」

ベイズ統計学を基本に、マルコフ連鎖モンテカルロ(MCMC)法などの数学的操作を駆使して統計データの分析を行っている。

ベイズ統計学を基本に、マルコフ連鎖モンテカルロ(MCMC)法などの数学的操作を駆使して統計データの分析を行っている。

ものづくりのメーカーであれば、販売の数字が立つ前に、原材料等の仕入れの数字がそれ以前に上昇していなければおかしい。不自然な数字があるということは、何かしら人為的な「操作」が行われている可能性がある。
「従来では大きい監査法人の方が『質の高い』監査を行っていると言われてきましたが、大きい監査法人のクライアントのほとんどは大企業で、そもそも財務報告の質が高い傾向にあります。そこで、因果推論という統計的な手法を用い、このクライアントの特性の違いを調整することにしました。その結果、従来の研究とは異なり、監査法人の規模は監査の質に影響を与えないという結果が得られました」と加藤准教授は振り返る。

会計士がAIに代替される可能性を分析

現在取り組んでいる研究も、監査法人が研究対象だが、今度はそこで働く「人」、すなわち会計士を統計分析の材料としている。少し前に、オックスフォード大学の研究者が「AIの発展によって、人間の仕事の半分近くがなくなる』という説を唱えたことが、メディアで大きく取り上げられた。なかでも会計士は、AIに会計監査の仕事が代替されることで、その8割が職を失う可能性があるとすら言われている。
「ですがあの海外の研究はかなりいい加減な内容で、きちんとしたデータに基づいていません。会計士の仕事を具体的に分析していませんし、どの部分の仕事がAIに代替されるかも示していません」

神戸大学に赴任して3年が経過したが、研究室の本棚はガラガラだ。「研究に必要な本は、検索が便利なのでほとんど電子書籍で購入しています」

神戸大学に赴任して3年が経過したが、研究室の本棚はガラガラだ。「研究に必要な本は、検索が便利なのでほとんど電子書籍で購入しています」

加藤准教授は理化学研究所・革新知能統合研究センター(経済経営情報融合分析チーム)に客員研究員として所属しており、このチームメンバーとして、本当に会計士の仕事が将来AIに奪われかねないか、という統計的な研究を日本公認会計士協会と共同で行うことにした。「まず会計士の仕事を、『財務諸表のチェック』『顧客との交渉』『監査チームの組成とメンバーとのコミュニケーション』など具体的な10の項目に大きく分類しました。そのうえで、会計士のマネージャーである主査と、実働部隊で若手の補助者、約400人にアンケートをとるとともに、主査に対しては『どの能力に秀でている部下を昇進させたいか』などの質問で、10項目の仕事それぞれの重みを調査しました」

今はその分析結果をまとめているところだが、大きな結論としては「単純作業はAIに代替されるかもしれないが、会計士として重要な能力ほど、AIには代替されにくい」ということが分かったという。
「会計士の人たちも、『自分たちの仕事はAIがすぐにとって代われるような、そんな簡単なものじゃない』と、あの海外の発表にはだいぶ怒っていました。この研究結果は2021年の年末までに、ニュースリリースを出す予定なので、ぜひ多くのメディアに取り上げて欲しいと思います」

経済学のさらなるビジネス活用を目指して

そもそも加藤准教授は、なぜ「統計学」を武器に、「会計」や「マーケティング」の領域にまで研究の範囲を広げようと思ったのか。そのきっかけは、高校時代にさかのぼる。

「僕はもともと、会計士になりたかったんです。数学は昔から好きでしたが、英語も得意だったし、ビジネスにも興味があったので、大学は経済系の学部に進んで、会計士の資格をとろうと考えました。会計士になる人の多くは、大学と専門学校のダブルスクールに通いますが、一人暮らしで2つの学費を払うと、かなりのお金がかかります。それで、実家のある岐阜から通える名古屋大学に入学しました」

「昔のマーケティングデータを集める手法は、消費者アンケートが一般的でしたが、今はGPSやインターネットでビッグデータを簡単に集められる。進化するデータを有効活用できる手法を生み出したい」と語る。

「昔のマーケティングデータを集める手法は、消費者アンケートが一般的でしたが、今はGPSやインターネットでビッグデータを簡単に集められる。進化するデータを有効活用できる手法を生み出したい」と語る。

その名古屋大学の経済学部で、1年生のときに受けた統計学の授業が、加藤氏の運命を決めた。
「根本二郎先生という経済統計学で有名な先生の授業で、それがものすごく面白かったんです。もともと確率的に物事を考えるタイプだったので、統計学も好きだったのですが、『数学って、本当に世の中の役に立つんだ』と実感しました」

会計士の勉強を独学で進めていた加藤氏は、経済学部での成績も非常に良く、4年次には首席となった。成績が良い学生は4年の時点で修士課程に飛び級できる制度を利用し、会計学のゼミに入って、統計学と会計に関する知識を深めていった。2回目の転機が訪れたのは、卒業が近づいたときだ。
「民間のマーケティングリサーチの会社から2社、内定をもらっていて、どちらかでデータサイエンティストとして働くつもりでした。ところがある日、論文の指導教官だった星野崇宏教授から『一つの会社でデータサイエンスをやるのも面白いとは思うけれど、研究者になれば企業の生の課題を素材に、いろんなテーマで研究ができる。そのほうが将来の研究の幅が広がるんじゃないか』と言われたんです」

加藤准教授は星野教授の言葉に共感し、統計学の手法を企業活動に実践的に活かすため、修士から星野教授が専門とするマーケティング・サイエンスのゼミに入ることにした。星野教授が慶應義塾大学に移籍すると、加藤氏も慶應へと転籍し、博士課程へと進んだ。こうして、「統計学」「会計学」「マーケティング」を武器とする、唯一の研究者が生まれることになった。いま加藤准教授は、神戸大学で研究をする傍ら、星野教授が他2名の経済学者と設立した株式会社エコノミクスデザインで、エコノミストとして企業のデータ分析にもあたる。
「その会社のモットーは、『経済学のビジネス活用を促進する』です。私たちのところには、『新製品のプライシングをいくらにすればいいか教えてほしい』『行動経済学の知見に基づいたマーケティング戦略立案を手伝ってほしい』といった、さまざまな要望が企業から寄せられています」

統計データのビジネス活用の有効性が、盛んに言われるようになったのはここ数年のことに過ぎない。経済学がビジネスに具体的に役立つことができる領域は、まだまだ眠っている。加藤准教授の研究を通じたビジネスへの貢献は、始まったばかりだ。

加藤 諒(かとう りょう)
神戸大学計算社会科学研究センター 准教授
1991年岐阜県生まれ。2014年、名古屋大学経済学部経営学科卒業。16年、名古屋大学大学院 経済学研究科 博士課程前期課程 産業経営システム専攻 修了。19年、慶應義塾大学大学院 経済学研究科 後期博士課程 修了。16年より2年間、日本学術振興会 特別研究員。18年、神戸大学計算社会科学研究センター助教。19年、同センター講師。21年より現職。
 

神戸大学計算社会科学研究センター
http://ccss.kobe-u.ac.jp/index.html

神戸大学計算社会科学研究センターは、社会科学、計算科学、データサイエンスの融合領域である計算社会科学の確立と体系化および国際研究拠点となることを目的に、2017年3月、神戸大学経済経営研究所の部局内組織として創設後、2018年4月、全学基幹研究推進組織として設置された。センターにはシミュレーション部門、データ分析部門、データベース部門を擁し、計算社会科学における先端研究、技術開発、研究促進のためのデータベース作成を進めている。

 

【取材・文:大越裕 撮影:楠本涼】

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