近年、極地や高地といった「雪氷圏」にある氷河が、年々減少していることが観測から明らかになっている。それは、地球が温暖化している重要な証拠だとされる。
その事実が示すように、雪氷圏は地球環境の変化に敏感であり、その変化を知ることの重要性が認識されるようになってきた。その際、地震学の知見を取り入れるのが有効なことが21世紀に入って分かってきた。氷河の動きにより発生する震動を調べると、氷河の状況が分かるのだ。
その「雪氷圏地震学(Cryoseismology)」の手法によって、氷河について新たな研究を重ねているのが、北海道大学北極域研究センターのポドリスキ・エヴゲニ助教である。雪氷圏地震学とはどのような分野なのか。そして氷河は、地球について何を教えてくれるのだろうか。
水が固体として存在する地球表面の部分を、「雪氷圏」という。具体的には、雪、河川と湖沼の氷、海氷、氷河、棚氷、氷床、凍土が雪氷圏に含まれる。これらの領域は、地表面におけるエネルギーのやり取りや水の循環、海面水位への影響など、地球の気候システムにおいて重要な役割を果たしている。
近年の観測によって、最近数十年にわたり、海氷、氷河、氷床のいずれもが減少していて、積雪面積も年々減っていることが確認されている(図1参照)。これは、地球が温暖化していることを示す重要な証拠だと考えられている。
それゆえに、雪氷圏について知ることは、気候変動を理解するうえで重要であり、近年、注目を集めている。しかしそのメカニズムについては、多くのことが分かっているわけではない。というのも、たとえば氷河を観測するにしても、長らくは、写真や衛星画像を見て、氷の状態や移動距離を測るといったことくらいしか行われてこなかったからだ。
そうしたなか、2003年に、コロンビア大学の研究者らによって重大な発見がなされた。グリーンランドで氷河が崩れ落ちたりすることによって生じる震動が、地球の他の場所からも感知できるほど大きいことが分かったのである。その震動は時にマグニチュード5を超えるほどにもなる。その後の研究では、震動に季節差(夏に多く冬に少ない)があることや、回数が年々増加していることも分かってきた。
「こうした研究をきっかけに、“氷が起こす地震”とも言える『氷震(ice quake)』について知ることで、氷河についての研究が進むのではないかと考えられるようになってきました。それにより、『雪氷圏地震学(cryoseismology)』という分野が急速に発展してきたのです」
ポドリスキ助教は、2015年より北海道大学で雪氷圏地震学を研究している。ポドリスキ助教はまず、氷河の震動が生じるメカニズムから説明してくれた。
「氷河は、海と接する末端の部分で海水に押され、支えられています(図2a参照)。ところが、たとえば私が主な研究対象としているグリーンランドの氷河では、海水面が12時間ごとに2mほど上下します。海水面が下がると、氷河は支えを失って動き出し、端の部分が崩れて海に落ちます。その際、高さ2mの氷が数kmの長さにわたって崩れ落ちることになるので、生じる衝撃は甚大です。氷河は前後に引っ張られて、多数の亀裂が入り、表面にはクレバスと呼ばれる隙間が生じます(図2b, c参照)。それは時に、幅10m、長さ1kmといった規模になります。そうした一連の動きがあるとき、1時間に600~800回ほどの氷震が起きます。そのため、氷河の上に地震計を設置してその震動を測定すれば、氷河でどんな変化が起きているかを推測することができるのです」
このような氷河崩壊のメカニズムは、地震計を用いた震動の測定によって初めて知られるようになったという。なお、現地の漁師たちは、海面が低いときは氷が落ちてくるので危険だということを以前から知っていた。
この例だけでも、雪氷圏地震学が氷河について理解するうえで大きな力を発揮することがよく分かる。ちなみに、グリーンランドの氷河は、こうした動きの結果、一日1~3m、一年間で500mほど移動することが分かっている。
ポドリスキ助教は、2015年より、1,2年に一度のペースでグリーンランドでの観測を行っている。2017年にはヒマラヤの氷河で、地震計を用いた観測を行った。ヒマラヤの氷河の移動は年間30mほどしかなく、グリーンランドに比べて遅いこともあり、起きている現象はより単純だろうと考えていた。しかし実際に観測すると、予期せぬ事実を知ることになった。
「現地に行くと、昼間は静かなのに、毎晩、爆発のような大きな音がすることに気づきました。そして地震計を用いて観測をすると、実際、夜ごとに氷河に大きな震動が起きていることが分かりました(図3参照)。グリーンランドでは全く見られなかった傾向です。ヒマラヤでは昼と夜の温度差が大きく、夜にものすごく温度が下がるために氷が急激に収縮して破裂していたのです」
夜の温度低下に比例して震動が大きくなることも確かめられた。また、表面が瓦礫などで覆われている場所では震動が小さいことも分かった。表面の瓦礫が温度変化を和らげているためだろうという。
「グリーンランドでの氷河崩壊のメカニズム同様、ヒマラヤの氷河のこのような挙動も、これまで全く知られていませんでした。雪氷圏地震学がいかに、氷河を理解するうえで重要かが分かります」
ここまで述べてきたのは、氷河の表面に設置する地震計によって分かったことだ。さらに2019年、ポドリスキ助教は、グリーンランドで海底地震計(Ocean Bottom Seismometer , OBS)を利用して海底の震動を測定した(図4参照)。氷河の底の震動から、氷河が地面や海水とどのような相互作用をしているかが分かるかもしれないと考えたのだ。この測定は、大きな発見につながった。
データの解析を終えていないため、はっきりしない部分はあるというものの、助教によれば、海底地震計によって得られたデータは、海底面が、12時間ごとに大きな震動を起こしていることを示唆しているという。一方、氷河表面に設置したGPSのデータも、先述した海水面の上下動と一致して、氷河が12時間ごとに大きく動き、震動していることを示していた。すなわち、海底面の震動と氷河の震動がきれいに一致しているのである。氷河が動くことによって海底面が震動する、つまり、氷河によって継続的な地震が引き起こされていることが示唆されるのである。
「2002年に、東京大学地震研究所の小原一成先生が、海底のプレート境界で長期にわたって継続的に発生する震動があることを発見しました(深部低周波微動)。この震動は、巨大地震について理解する上でも重要な意味を持つことが分かってきたのですが、私たちの測定は、氷河が動くことによって、氷河と海底面の間でも、深部低周波微動と同じ震動が生じていることを示唆しています」
助教は、氷河の底で発生するこの震動を研究することで、地震のメカニズムについても理解が深まるのではないかと考えている。というのも、プレート境界は水深数十kmという海中にあるため、地震計で測定することができないのに加え、プレートは年間数cm程度しか動かず、正確なデータを得るのが困難だからである。
それに対して、氷河の底であれば地震計を使って測定できるうえ、年間500mも動く。つまり、もし両者の現象が類似しているとすれば、氷河の底のメカニズムを調べることで、プレート境界の現象を理解する手がかりが得られるかもしれないのだ。また逆に、プレート境界の研究を利用して、氷河について理解を深められるかもしれないと助教は期待する。
「2019年に音響記録計付き海底地震計(図4参照)で得たデータは、1秒間に96000点という密度で2週間分あります。とても膨大なため、解析して発表するにはまだ時間がかかりますが、この発見は、今後につながる重要なものになると考えています」
氷河の研究は、現地での観測が難しいためにこれまでなかなか進まなかった。以下、ポドリスキ助教が観測を行う方法について簡単に紹介したい。
氷河表面への地震計の設置は、ヘリコプターや船を使ったり、氷河の上を歩いたりして行う。一方、海底地震計は、錨をつけて船から海中へ落とす(写真下)。地震計と海底地震計の両方で測定を行った2019年の観測は、異なるテーマを持つ8人の研究者からなる国際プロジェクトとして行われた。
「海底地震計で得たデータを解析するには、海底の震動とは関係ないシグナルを除去する必要があります。そのためこのときの観測では、現地の漁師の力を借りてクジラやイッカクの声の録音も行いました(船からマイクを海中に入れて録音した)。それらの海洋生物の声も、海底での測定から得られたデータの中に含まれており、それがどういうものかを理解する必要があるからです。そうして不要なシグナルを除去して必要なデータだけを抽出するには、AIや機械学習の技術も必要で、その分野の研究者とも共同で研究を進めています。データの解析そのものも、とてもチャレンジングなのです」
ポドリスキ助教は、今後も継続的にグリーンランドで観測を行い、経年変化を見ていこうと考えている。
「2015年から現在までに4回現地を訪れていますが、行くたびに2~3mもの規模で氷の高さが減少しています。ヒマラヤや南極でもおそらく同じような変化が起きています。そしてその変化に伴って、氷の内部の様子、すなわち、亀裂のでき方や固さといった要素も変化していると推測できます。そのような変化を地震計で捉えたいと考えています。そこから、気候変動についても分かることがあるはずです」
さらには、イッカクなどの海洋生物の声についても理解を深め、それらの生態そのものについても調べていきたいという。
「イッカクがいつ、どういう理由で氷河の近くにやってくるのか。何頭ぐらい生息していて、その数がどう変化していくか。そうしたことを知るのは、動物そのものを知るうえでも、急速に変化しつつある環境をよりよく理解するうえでも重要です。震動や音という“波”を手がかりとすれば、雪氷圏の環境全体をよりよく理解できるはずです。それが、私が研究を通してやろうとしていることです」
もともと自然が好きだったポドリスキ助教は、モスクワ大学の地理学部に入った後、川や森を対象として研究を行いたいと考えた。次第に、極地や山など、容易には行けない環境に憧れるようになる。そんな彼が、最初の研究対象として選んだのが雪山の雪崩だった。
「研究の現場となったのは、ノルウェーに近いロシア北部のヒビヌイ山脈です。その辺りは、地震などほとんど起こらない場所ですが、奇妙なことに、必ず毎週金曜日に雪崩が起きました。理由を調べると、そばで大規模な露天採鉱が行われていて、金曜日になると巨大な爆発を生じさせていることがわかりました。それが地面を揺らし雪崩を生じさせていたのです。私はこの場所を訪れて初めて、地震に相当する地面の揺れを体験しました。その揺れが雪崩を起こすことに興味を持ち、雪氷と地震との関係に興味を持つようになりました」
そして、助教はこの2分野にまたがる領域で研究をしたいと考えるようになる。その結果、辿り着いたのが北海道大学低温科学研究所だ。2006年のことである。
その後、新潟大学を経て、2010年に名古屋大学で、地震によって誘発される雪崩の研究で博士号を取得。それから2015年までフランスで雪崩の研究を継続したのち、再び北大へと移り、同年に設立された北極域研究センターで、氷河の研究を始めることになった。
「雪崩の研究は、主に実験施設やコンピュータを使うものでしたが、私はもっと自然のなかにいたいという気持ちが強くありました。そして、北大で氷河の研究をしている先生たちのグループに入れてもらうことになり、再び日本に戻ってくることになりました」
いまの研究の魅力について尋ねると、助教は次のように語る。
「震動や音など、あらゆる波について調べ、氷河や雪氷圏という未知の領域を理解していくことが私の研究の本質です。これまであまりやられてこなかった分野であるため、測定をするたびに新しい発見があり、地球の新たな側面が見えてくることに興奮します。現地の観測は冒険のようだし、膨大なデータを分析するのもまた、自分にとっては別の冒険です。どちらもチャレンジングで、とても楽しんでいます」
ポドリスキ助教は、まさに未踏の地で、前人未踏の研究を進めているのだ。
北極域研究に携わる北海道大学の研究者をさまざまな分野から集約して、2015年4月に設立された。北極域の持続可能な活用と保全を目的として研究活動を行う。日本の北極域研究のナショナルフラッグシッププロジェクトとして、2015年9月に始まった北極域研究推進プロジェクトに副代表機関として参画するなど、異分野連携研究、産学官プラットフォーム構築に取り組む。2016年4月には、北極域研究共同推進拠点として文部科学省共同利用・共同研究拠点に認定され、国立極地研究所、海洋研究開発機構と連携して、北極域産官学連携の推進、北極課題解決人材育成の推進を行っている。専任教員11名、学内関係部局の兼務教員32名(2019年4月現在)よりなる。
【取材・文:近藤雄生 撮影:島田拓身】